明石玉(あかしだま)とは、模造珊瑚の一種。明石で江戸末期ころから明治期にかけ、かんざしや首飾りなどの装飾品として製造された。硝石や滑石などの粉末を主原料とする。また、同じく卵白で固めた米粉に水牛の角などを貼り着色した製法のものもある。直径1.5㎝ほどのものが主流で、赤色が主体。鉛の芯が入ったツゲの木で原形を作り卵白を塗って着色、3種類以上の製造法があったが、牛の薄い爪を貼りつけるのもその一つである。 江戸時代後期から大正時代にかけて兵庫県明石市の特産品で、1887年(明治20年)には明石に11軒の工場と37人の職人がいた。年間53万個を製造し、中国・朝鮮などにも輸出され、近代日本の重要な産業品の一つでもあった。

Property Value
dbo:abstract
  • 明石玉(あかしだま)とは、模造珊瑚の一種。明石で江戸末期ころから明治期にかけ、かんざしや首飾りなどの装飾品として製造された。硝石や滑石などの粉末を主原料とする。また、同じく卵白で固めた米粉に水牛の角などを貼り着色した製法のものもある。直径1.5㎝ほどのものが主流で、赤色が主体。鉛の芯が入ったツゲの木で原形を作り卵白を塗って着色、3種類以上の製造法があったが、牛の薄い爪を貼りつけるのもその一つである。 江戸時代後期から大正時代にかけて兵庫県明石市の特産品で、1887年(明治20年)には明石に11軒の工場と37人の職人がいた。年間53万個を製造し、中国・朝鮮などにも輸出され、近代日本の重要な産業品の一つでもあった。 (ja)
  • 明石玉(あかしだま)とは、模造珊瑚の一種。明石で江戸末期ころから明治期にかけ、かんざしや首飾りなどの装飾品として製造された。硝石や滑石などの粉末を主原料とする。また、同じく卵白で固めた米粉に水牛の角などを貼り着色した製法のものもある。直径1.5㎝ほどのものが主流で、赤色が主体。鉛の芯が入ったツゲの木で原形を作り卵白を塗って着色、3種類以上の製造法があったが、牛の薄い爪を貼りつけるのもその一つである。 江戸時代後期から大正時代にかけて兵庫県明石市の特産品で、1887年(明治20年)には明石に11軒の工場と37人の職人がいた。年間53万個を製造し、中国・朝鮮などにも輸出され、近代日本の重要な産業品の一つでもあった。 (ja)
dbo:wikiPageExternalLink
dbo:wikiPageID
  • 1947454 (xsd:integer)
dbo:wikiPageLength
  • 1101 (xsd:nonNegativeInteger)
dbo:wikiPageRevisionID
  • 58617337 (xsd:integer)
dbo:wikiPageWikiLink
dct:subject
rdfs:comment
  • 明石玉(あかしだま)とは、模造珊瑚の一種。明石で江戸末期ころから明治期にかけ、かんざしや首飾りなどの装飾品として製造された。硝石や滑石などの粉末を主原料とする。また、同じく卵白で固めた米粉に水牛の角などを貼り着色した製法のものもある。直径1.5㎝ほどのものが主流で、赤色が主体。鉛の芯が入ったツゲの木で原形を作り卵白を塗って着色、3種類以上の製造法があったが、牛の薄い爪を貼りつけるのもその一つである。 江戸時代後期から大正時代にかけて兵庫県明石市の特産品で、1887年(明治20年)には明石に11軒の工場と37人の職人がいた。年間53万個を製造し、中国・朝鮮などにも輸出され、近代日本の重要な産業品の一つでもあった。 (ja)
  • 明石玉(あかしだま)とは、模造珊瑚の一種。明石で江戸末期ころから明治期にかけ、かんざしや首飾りなどの装飾品として製造された。硝石や滑石などの粉末を主原料とする。また、同じく卵白で固めた米粉に水牛の角などを貼り着色した製法のものもある。直径1.5㎝ほどのものが主流で、赤色が主体。鉛の芯が入ったツゲの木で原形を作り卵白を塗って着色、3種類以上の製造法があったが、牛の薄い爪を貼りつけるのもその一つである。 江戸時代後期から大正時代にかけて兵庫県明石市の特産品で、1887年(明治20年)には明石に11軒の工場と37人の職人がいた。年間53万個を製造し、中国・朝鮮などにも輸出され、近代日本の重要な産業品の一つでもあった。 (ja)
rdfs:label
  • 明石玉 (ja)
  • 明石玉 (ja)
prov:wasDerivedFrom
foaf:homepage
foaf:isPrimaryTopicOf
is dbo:wikiPageWikiLink of
is owl:sameAs of
is foaf:primaryTopic of