日の神論争(ひのかみろんそう)とは1786年(天明6年)から1787年(天明7年)にかけて本居宣長と上田秋成のあいだで書簡を通して交わされた国学上の論争である。具体的には日の神、すなわち天照大御神をめぐる論争を指す。