戸田漁港 (へだぎょこう) は、静岡県沼津市戸田にある港。歴史的に戸田港(へだこう)として知られている。水深は比較的深く、遠洋漁業の基地になっている。また駿河湾の深い海底谷に隣接しているため、深海魚やタカアシガニが多数水揚げされる。港の周辺には戸田温泉が広がっている。 嘉永7年11月4日(1854年12月23日)の安政東海地震の津波で大破したエフィム・プチャーチン提督のロシア船「ディアナ号」が1855年1月15日(安政元年11月27日)に駿河湾で沈没し、代わりの帆船、「ヘダ号」がこの地で建造されるまで、一行はに滞在した。日本とロシア友好の地であるこの地では、戸田港まつりが毎年行われている。沖合に沈んだ船の錨が1954年(昭和29年)、1976年(昭和51年)に引き上げられ、前者は沼津市戸田造船郷土資料博物館に、後者は富士市三四軒屋の緑道公園に展示されている。

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  • 戸田漁港 (へだぎょこう) は、静岡県沼津市戸田にある港。歴史的に戸田港(へだこう)として知られている。水深は比較的深く、遠洋漁業の基地になっている。また駿河湾の深い海底谷に隣接しているため、深海魚やタカアシガニが多数水揚げされる。港の周辺には戸田温泉が広がっている。 嘉永7年11月4日(1854年12月23日)の安政東海地震の津波で大破したエフィム・プチャーチン提督のロシア船「ディアナ号」が1855年1月15日(安政元年11月27日)に駿河湾で沈没し、代わりの帆船、「ヘダ号」がこの地で建造されるまで、一行はに滞在した。日本とロシア友好の地であるこの地では、戸田港まつりが毎年行われている。沖合に沈んだ船の錨が1954年(昭和29年)、1976年(昭和51年)に引き上げられ、前者は沼津市戸田造船郷土資料博物館に、後者は富士市三四軒屋の緑道公園に展示されている。 (ja)
  • 戸田漁港 (へだぎょこう) は、静岡県沼津市戸田にある港。歴史的に戸田港(へだこう)として知られている。水深は比較的深く、遠洋漁業の基地になっている。また駿河湾の深い海底谷に隣接しているため、深海魚やタカアシガニが多数水揚げされる。港の周辺には戸田温泉が広がっている。 嘉永7年11月4日(1854年12月23日)の安政東海地震の津波で大破したエフィム・プチャーチン提督のロシア船「ディアナ号」が1855年1月15日(安政元年11月27日)に駿河湾で沈没し、代わりの帆船、「ヘダ号」がこの地で建造されるまで、一行はに滞在した。日本とロシア友好の地であるこの地では、戸田港まつりが毎年行われている。沖合に沈んだ船の錨が1954年(昭和29年)、1976年(昭和51年)に引き上げられ、前者は沼津市戸田造船郷土資料博物館に、後者は富士市三四軒屋の緑道公園に展示されている。 (ja)
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  • 戸田漁港 (へだぎょこう) は、静岡県沼津市戸田にある港。歴史的に戸田港(へだこう)として知られている。水深は比較的深く、遠洋漁業の基地になっている。また駿河湾の深い海底谷に隣接しているため、深海魚やタカアシガニが多数水揚げされる。港の周辺には戸田温泉が広がっている。 嘉永7年11月4日(1854年12月23日)の安政東海地震の津波で大破したエフィム・プチャーチン提督のロシア船「ディアナ号」が1855年1月15日(安政元年11月27日)に駿河湾で沈没し、代わりの帆船、「ヘダ号」がこの地で建造されるまで、一行はに滞在した。日本とロシア友好の地であるこの地では、戸田港まつりが毎年行われている。沖合に沈んだ船の錨が1954年(昭和29年)、1976年(昭和51年)に引き上げられ、前者は沼津市戸田造船郷土資料博物館に、後者は富士市三四軒屋の緑道公園に展示されている。 (ja)
  • 戸田漁港 (へだぎょこう) は、静岡県沼津市戸田にある港。歴史的に戸田港(へだこう)として知られている。水深は比較的深く、遠洋漁業の基地になっている。また駿河湾の深い海底谷に隣接しているため、深海魚やタカアシガニが多数水揚げされる。港の周辺には戸田温泉が広がっている。 嘉永7年11月4日(1854年12月23日)の安政東海地震の津波で大破したエフィム・プチャーチン提督のロシア船「ディアナ号」が1855年1月15日(安政元年11月27日)に駿河湾で沈没し、代わりの帆船、「ヘダ号」がこの地で建造されるまで、一行はに滞在した。日本とロシア友好の地であるこの地では、戸田港まつりが毎年行われている。沖合に沈んだ船の錨が1954年(昭和29年)、1976年(昭和51年)に引き上げられ、前者は沼津市戸田造船郷土資料博物館に、後者は富士市三四軒屋の緑道公園に展示されている。 (ja)
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  • 戸田漁港 (ja)
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