慳 (けん)(梵: mātsarya、マートサリヤ)は、仏教が教える煩悩のひとつ。 ものおしみ。自分だけの利益を希求し続ける心のひとつの形で、財宝に耽着して人に施す心無い状態をいう。そのような心の人は、ただ蓄財せんと思う心にとりつかれてしまい、他人のことを考えることもない。 説一切有部の五位七十五法のうち、小煩悩地法の一つ。唯識派の『大乗百法明門論』によれば随煩悩位に分類され、そのうち小随煩悩である。仏教の戒律の一つに十重禁戒があり、その第八番目が不慳法財戒(ふけんほうざいかい)、つまり法と財とを慳(おし)むことなかれ、という意味を指す。

Property Value
dbo:abstract
  • 慳 (けん)(梵: mātsarya、マートサリヤ)は、仏教が教える煩悩のひとつ。 ものおしみ。自分だけの利益を希求し続ける心のひとつの形で、財宝に耽着して人に施す心無い状態をいう。そのような心の人は、ただ蓄財せんと思う心にとりつかれてしまい、他人のことを考えることもない。 説一切有部の五位七十五法のうち、小煩悩地法の一つ。唯識派の『大乗百法明門論』によれば随煩悩位に分類され、そのうち小随煩悩である。仏教の戒律の一つに十重禁戒があり、その第八番目が不慳法財戒(ふけんほうざいかい)、つまり法と財とを慳(おし)むことなかれ、という意味を指す。 (ja)
  • 慳 (けん)(梵: mātsarya、マートサリヤ)は、仏教が教える煩悩のひとつ。 ものおしみ。自分だけの利益を希求し続ける心のひとつの形で、財宝に耽着して人に施す心無い状態をいう。そのような心の人は、ただ蓄財せんと思う心にとりつかれてしまい、他人のことを考えることもない。 説一切有部の五位七十五法のうち、小煩悩地法の一つ。唯識派の『大乗百法明門論』によれば随煩悩位に分類され、そのうち小随煩悩である。仏教の戒律の一つに十重禁戒があり、その第八番目が不慳法財戒(ふけんほうざいかい)、つまり法と財とを慳(おし)むことなかれ、という意味を指す。 (ja)
dbo:wikiPageID
  • 241088 (xsd:integer)
dbo:wikiPageLength
  • 924 (xsd:nonNegativeInteger)
dbo:wikiPageRevisionID
  • 89836874 (xsd:integer)
dbo:wikiPageWikiLink
prop-ja:wikiPageUsesTemplate
dct:subject
rdfs:comment
  • 慳 (けん)(梵: mātsarya、マートサリヤ)は、仏教が教える煩悩のひとつ。 ものおしみ。自分だけの利益を希求し続ける心のひとつの形で、財宝に耽着して人に施す心無い状態をいう。そのような心の人は、ただ蓄財せんと思う心にとりつかれてしまい、他人のことを考えることもない。 説一切有部の五位七十五法のうち、小煩悩地法の一つ。唯識派の『大乗百法明門論』によれば随煩悩位に分類され、そのうち小随煩悩である。仏教の戒律の一つに十重禁戒があり、その第八番目が不慳法財戒(ふけんほうざいかい)、つまり法と財とを慳(おし)むことなかれ、という意味を指す。 (ja)
  • 慳 (けん)(梵: mātsarya、マートサリヤ)は、仏教が教える煩悩のひとつ。 ものおしみ。自分だけの利益を希求し続ける心のひとつの形で、財宝に耽着して人に施す心無い状態をいう。そのような心の人は、ただ蓄財せんと思う心にとりつかれてしまい、他人のことを考えることもない。 説一切有部の五位七十五法のうち、小煩悩地法の一つ。唯識派の『大乗百法明門論』によれば随煩悩位に分類され、そのうち小随煩悩である。仏教の戒律の一つに十重禁戒があり、その第八番目が不慳法財戒(ふけんほうざいかい)、つまり法と財とを慳(おし)むことなかれ、という意味を指す。 (ja)
rdfs:label
  • (ja)
  • (ja)
prov:wasDerivedFrom
foaf:isPrimaryTopicOf
is dbo:wikiPageWikiLink of
is owl:sameAs of
is foaf:primaryTopic of