慰礼城(いれいじょう、いれのさし、朝鮮語:위례성/慰禮城)は百済の初期都邑地だった。漢江を基準として河南慰礼城と河北慰礼城に区分する。 三国史記には、“城の西側には船と渡し場、東側一帯には、軍事訓練と民家村里、そして細長い蛇城として重ねられていて、この城壁が続いて崇山に至った”と記録されている。