愛知教育博物館(あいちきょういくはくぶつかん)は、1892年(明治25年)10月16日から1901年(明治34年)1月まで、名古屋市門前町5丁目の七ツ寺にあった私立の 自然博物館。有志で動植物や鉱物標本を持ち寄り、名古屋で教育博物会を開催していた奈良坂源一郎が主宰する浪越(なごや)博物会が、標本類を児童の教育や一般の縦覧に供することを目的として、義捐金により建設した。経営難ないし地主の立退要求により1901年に尾張徳川家に譲渡され、建物は同市大曽根に移築され明倫博物館として存続した。