布田 惟暉(ふた これてる)または布田 保之助(ふた やすのすけ、享和元年11月26日(1801年12月31日) - 明治6年(1873年)4月3日)は、熊本県上益城郡(現・山都町)の矢部手永の惣庄屋(そうじょうや)(村長)で、事業家。特に荒地の白糸台地を灌漑した通潤橋を建設した。後に神社に祭られた。