川治プリンスホテル火災(かわじプリンスホテルかさい)は、1980年(昭和55年)11月20日15時15分に栃木県塩谷郡藤原町(現在は合併して日光市)川治の川治温泉にあった宿泊施設「川治プリンスホテル雅苑」(鉄骨造4階建、屋上塔屋1階建、延床面積3,582.42平方メートル)で起きた火災事故である。死者45人、負傷者22人にのぼる被害を出した。なお、火災現場となった川治プリンスホテル雅苑は、西武グループの「プリンスホテル」とは無関係である。 戦後の日本において、宿泊施設の火災としては最悪の惨事でもあった。また商業建築物火災による死者45名という数字は、1972年5月13日の千日デパート火災(死者118名)、1973年11月29日の大洋デパート火災(死者104名)に次いで3番目となる。 この火災を契機として、翌1981年5月より、ホテル・旅館の防火基準適合表示制度(通称「適マーク」制度)が制定された。

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  • 川治プリンスホテル火災(かわじプリンスホテルかさい)は、1980年(昭和55年)11月20日15時15分に栃木県塩谷郡藤原町(現在は合併して日光市)川治の川治温泉にあった宿泊施設「川治プリンスホテル雅苑」(鉄骨造4階建、屋上塔屋1階建、延床面積3,582.42平方メートル)で起きた火災事故である。死者45人、負傷者22人にのぼる被害を出した。なお、火災現場となった川治プリンスホテル雅苑は、西武グループの「プリンスホテル」とは無関係である。 戦後の日本において、宿泊施設の火災としては最悪の惨事でもあった。また商業建築物火災による死者45名という数字は、1972年5月13日の千日デパート火災(死者118名)、1973年11月29日の大洋デパート火災(死者104名)に次いで3番目となる。 この火災を契機として、翌1981年5月より、ホテル・旅館の防火基準適合表示制度(通称「適マーク」制度)が制定された。 (ja)
  • 川治プリンスホテル火災(かわじプリンスホテルかさい)は、1980年(昭和55年)11月20日15時15分に栃木県塩谷郡藤原町(現在は合併して日光市)川治の川治温泉にあった宿泊施設「川治プリンスホテル雅苑」(鉄骨造4階建、屋上塔屋1階建、延床面積3,582.42平方メートル)で起きた火災事故である。死者45人、負傷者22人にのぼる被害を出した。なお、火災現場となった川治プリンスホテル雅苑は、西武グループの「プリンスホテル」とは無関係である。 戦後の日本において、宿泊施設の火災としては最悪の惨事でもあった。また商業建築物火災による死者45名という数字は、1972年5月13日の千日デパート火災(死者118名)、1973年11月29日の大洋デパート火災(死者104名)に次いで3番目となる。 この火災を契機として、翌1981年5月より、ホテル・旅館の防火基準適合表示制度(通称「適マーク」制度)が制定された。 (ja)
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  • 工事用ガスバーナーによる失火 (ja)
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  • 川治プリンスホテル火災 (ja)
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  • 業務上過失致死、同傷害 (ja)
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  • 昭和62年第519号 (ja)
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  •  刑集第44巻8号744頁 (ja)
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  • 刑法(平成3年法律31号による改正前のもの)211条 (ja)
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  • 第一小法廷 (ja)
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  • ホテルで火災が発生し、火煙の流入拡大を防止する防火戸・防火区画が設置されていなかったため火煙が短時間に建物内に充満し、従業員による避難誘導が全くなかったことと相まって、相当数の宿泊客等が死傷した火災事故において、ホテルの経営管理業務を統括掌理する最高の権限を有し、ホテルの建物に対する防火防災の管理業務を遂行すべき立場にあった者には、防火戸・防火区画を設置するとともに、消防計画を作成してこれに基づく避難誘導訓練を実施すべき注意義務を怠った過失があり、業務上過失致死傷罪が成立する。 (ja)
  • ホテルで火災が発生し、火煙の流入拡大を防止する防火戸・防火区画が設置されていなかったため火煙が短時間に建物内に充満し、従業員による避難誘導が全くなかったことと相まって、相当数の宿泊客等が死傷した火災事故において、ホテルの経営管理業務を統括掌理する最高の権限を有し、ホテルの建物に対する防火防災の管理業務を遂行すべき立場にあった者には、防火戸・防火区画を設置するとともに、消防計画を作成してこれに基づく避難誘導訓練を実施すべき注意義務を怠った過失があり、業務上過失致死傷罪が成立する。 (ja)
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  • 川治プリンスホテル火災(かわじプリンスホテルかさい)は、1980年(昭和55年)11月20日15時15分に栃木県塩谷郡藤原町(現在は合併して日光市)川治の川治温泉にあった宿泊施設「川治プリンスホテル雅苑」(鉄骨造4階建、屋上塔屋1階建、延床面積3,582.42平方メートル)で起きた火災事故である。死者45人、負傷者22人にのぼる被害を出した。なお、火災現場となった川治プリンスホテル雅苑は、西武グループの「プリンスホテル」とは無関係である。 戦後の日本において、宿泊施設の火災としては最悪の惨事でもあった。また商業建築物火災による死者45名という数字は、1972年5月13日の千日デパート火災(死者118名)、1973年11月29日の大洋デパート火災(死者104名)に次いで3番目となる。 この火災を契機として、翌1981年5月より、ホテル・旅館の防火基準適合表示制度(通称「適マーク」制度)が制定された。 (ja)
  • 川治プリンスホテル火災(かわじプリンスホテルかさい)は、1980年(昭和55年)11月20日15時15分に栃木県塩谷郡藤原町(現在は合併して日光市)川治の川治温泉にあった宿泊施設「川治プリンスホテル雅苑」(鉄骨造4階建、屋上塔屋1階建、延床面積3,582.42平方メートル)で起きた火災事故である。死者45人、負傷者22人にのぼる被害を出した。なお、火災現場となった川治プリンスホテル雅苑は、西武グループの「プリンスホテル」とは無関係である。 戦後の日本において、宿泊施設の火災としては最悪の惨事でもあった。また商業建築物火災による死者45名という数字は、1972年5月13日の千日デパート火災(死者118名)、1973年11月29日の大洋デパート火災(死者104名)に次いで3番目となる。 この火災を契機として、翌1981年5月より、ホテル・旅館の防火基準適合表示制度(通称「適マーク」制度)が制定された。 (ja)
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  • 川治プリンスホテル火災 (ja)
  • 川治プリンスホテル火災 (ja)
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