川井訓導事件(かわいくんどうじけん)とは、1924年(大正13年)に、長野県の松本女子師範附属小学校の訓導であった川井清一郎が、修身の授業で国定教科書を用いなかったことを理由に休職処分とされ、退職に追い込まれたこと、また、これに関係した教育界における論争など、一連の動きを指す。大正自由教育運動に対する弾圧事件の代表的事例、教科書不使用を理由に教員が厳罰に処された事件の典型例とされ、事件の背景には大正自由教育が「赤化思想」の温床とみなされていたことが指摘されている。