岸本 水府(きしもと すいふ、1892年2月29日 - 1965年8月6日)は、大正・昭和初期の川柳作家、コピーライター。番傘川柳社会長。日本文藝家協会会員。本名・龍郎(たつお)。三重県に生まれ、大阪府で育った。 1913年に等とともにを組織し『番傘』を創刊、のちに編集主幹。そのかたわら、コピーライターとして福助足袋(現:福助)、壽屋(現:サントリー)、グリコ(現:江崎グリコ)、桃谷順天館等の各社の広告を担当。グリコでは広告部長を務めた。豆文広告を発案。戦前からの関西広告界で大立者だった偉人の一人である。 OSK日本歌劇団・松竹歌劇団のテーマ曲「桜咲く国」の作詞者として知られる。 著書に『母百句』・『川柳手引』等がある。田辺聖子による評伝『道頓堀の雨に別れて以来なり』があり、田辺は同作で読売文学賞および泉鏡花文学賞を受賞した。 1965年8月6日、大阪市城東病院で胃がんにより死去。

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  • 岸本 水府(きしもと すいふ、1892年2月29日 - 1965年8月6日)は、大正・昭和初期の川柳作家、コピーライター。番傘川柳社会長。日本文藝家協会会員。本名・龍郎(たつお)。三重県に生まれ、大阪府で育った。 1913年に等とともにを組織し『番傘』を創刊、のちに編集主幹。そのかたわら、コピーライターとして福助足袋(現:福助)、壽屋(現:サントリー)、グリコ(現:江崎グリコ)、桃谷順天館等の各社の広告を担当。グリコでは広告部長を務めた。豆文広告を発案。戦前からの関西広告界で大立者だった偉人の一人である。 OSK日本歌劇団・松竹歌劇団のテーマ曲「桜咲く国」の作詞者として知られる。 著書に『母百句』・『川柳手引』等がある。田辺聖子による評伝『道頓堀の雨に別れて以来なり』があり、田辺は同作で読売文学賞および泉鏡花文学賞を受賞した。 1965年8月6日、大阪市城東病院で胃がんにより死去。 (ja)
  • 岸本 水府(きしもと すいふ、1892年2月29日 - 1965年8月6日)は、大正・昭和初期の川柳作家、コピーライター。番傘川柳社会長。日本文藝家協会会員。本名・龍郎(たつお)。三重県に生まれ、大阪府で育った。 1913年に等とともにを組織し『番傘』を創刊、のちに編集主幹。そのかたわら、コピーライターとして福助足袋(現:福助)、壽屋(現:サントリー)、グリコ(現:江崎グリコ)、桃谷順天館等の各社の広告を担当。グリコでは広告部長を務めた。豆文広告を発案。戦前からの関西広告界で大立者だった偉人の一人である。 OSK日本歌劇団・松竹歌劇団のテーマ曲「桜咲く国」の作詞者として知られる。 著書に『母百句』・『川柳手引』等がある。田辺聖子による評伝『道頓堀の雨に別れて以来なり』があり、田辺は同作で読売文学賞および泉鏡花文学賞を受賞した。 1965年8月6日、大阪市城東病院で胃がんにより死去。 (ja)
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