岩渕 克郎(いわぶち かつお、1919年2月 - 2001年4月28日)は、岩手県東磐井郡猿沢村(現・一関市)出身の教育者。満州国にあった建国大学を卒業。在学中は学内の緑化を推進した。1946年(昭和21年)8月農業に就くかたわら「鶏鳴塾」を開く。1948年(昭和23年)8月、「鶏鳴塾」を閉じ、国家公務員(法務官)に就職。退職後、白河市で公証人を務める。晩年に福島県白河市の「(財)立教志塾」の初代塾頭に就任。