山田 泰親(やまだ やすちか、生没年未詳)は、鎌倉時代中期の武士・御家人。の三男。兄弟に、、親遍があり、子に・らがある。室はの娘。仮名は三郎。尾張国上菱野城主。承久の乱で朝廷方として戦った山田重忠の曾孫にあたる。 兄弟で鎌倉幕府への出仕が許され、泰親は弟の親氏と共に尾張国菱野(愛知県瀬戸市菱野町付近)の地頭に任じられたほか、同国に入部していた御家人・(鳴海清時)の娘を娶り子の時重を儲けたとされる。晩年は出家し、弘安6年(1283年)頃、菱野の領内に本泉寺を建立したと伝えられる。