山本 榕室(やまもと ようしつ、1809年7月7日 - 1864年2月20日)は江戸時代後期の医者、本草学者。父山本亡羊の次男として本草学に通じ、採薬記など多くの著作を残した。、池内陶所と共に平安三才子と称された。父亡羊の著作を助け、読書室蔵書の充実に務めた。18歳年下の弟山本章夫(山本渓愚の描いた肖像画が伝わる。