小島 二朔(こじま じさく、1901年1月19日 - 1974年5月19日)は、歌舞伎・舞踊の台本作者。 東京千住生まれ。本名・小島勝太郎。1919年市村座に入り二代竹柴金作に師事、竹柴二作として作者部屋に入り、1924年七代坂東三津五郎つき作者となる。1931年退座。事務局に勤め、書記長。雑誌『芸能』に俳優芸談を連載、また名古屋西川流の名古屋をどりなどの舞踊台本も手がけた。妻の弟は歌舞伎竹本三味線方の鶴澤絃二郎、長男は舞踊家の西川鯉男。戦後はカルチャースクールの先駆けとなる、産経学園の開設、一中節、箏曲などの古曲と呼ばれるジャンルと日本舞踊家とのコラボレーションの「古曲の会」をプロデュースした。

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  • 小島 二朔(こじま じさく、1901年1月19日 - 1974年5月19日)は、歌舞伎・舞踊の台本作者。 東京千住生まれ。本名・小島勝太郎。1919年市村座に入り二代竹柴金作に師事、竹柴二作として作者部屋に入り、1924年七代坂東三津五郎つき作者となる。1931年退座。事務局に勤め、書記長。雑誌『芸能』に俳優芸談を連載、また名古屋西川流の名古屋をどりなどの舞踊台本も手がけた。妻の弟は歌舞伎竹本三味線方の鶴澤絃二郎、長男は舞踊家の西川鯉男。戦後はカルチャースクールの先駆けとなる、産経学園の開設、一中節、箏曲などの古曲と呼ばれるジャンルと日本舞踊家とのコラボレーションの「古曲の会」をプロデュースした。 (ja)
  • 小島 二朔(こじま じさく、1901年1月19日 - 1974年5月19日)は、歌舞伎・舞踊の台本作者。 東京千住生まれ。本名・小島勝太郎。1919年市村座に入り二代竹柴金作に師事、竹柴二作として作者部屋に入り、1924年七代坂東三津五郎つき作者となる。1931年退座。事務局に勤め、書記長。雑誌『芸能』に俳優芸談を連載、また名古屋西川流の名古屋をどりなどの舞踊台本も手がけた。妻の弟は歌舞伎竹本三味線方の鶴澤絃二郎、長男は舞踊家の西川鯉男。戦後はカルチャースクールの先駆けとなる、産経学園の開設、一中節、箏曲などの古曲と呼ばれるジャンルと日本舞踊家とのコラボレーションの「古曲の会」をプロデュースした。 (ja)
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  • 小島 二朔(こじま じさく、1901年1月19日 - 1974年5月19日)は、歌舞伎・舞踊の台本作者。 東京千住生まれ。本名・小島勝太郎。1919年市村座に入り二代竹柴金作に師事、竹柴二作として作者部屋に入り、1924年七代坂東三津五郎つき作者となる。1931年退座。事務局に勤め、書記長。雑誌『芸能』に俳優芸談を連載、また名古屋西川流の名古屋をどりなどの舞踊台本も手がけた。妻の弟は歌舞伎竹本三味線方の鶴澤絃二郎、長男は舞踊家の西川鯉男。戦後はカルチャースクールの先駆けとなる、産経学園の開設、一中節、箏曲などの古曲と呼ばれるジャンルと日本舞踊家とのコラボレーションの「古曲の会」をプロデュースした。 (ja)
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  • 小島二朔 (ja)
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