尊性入道親王(そんしょう にゅうどうしんのう、慶長7年6月17日(1602年8月4日)- 慶安4年3月22日(1651年5月11日))は、江戸時代前期の入道親王。後陽成天皇の第五皇子で、母は典侍の日野輝子。幼称は五宮(いつのみや)、諱は毎敦(としあつ)、法名は尊性(そんしょう)。 親王宣下を蒙った後に出家しているので身位は入道親王が正しいが、これを出家後に親王宣下を蒙った法親王と混同して「尊性法親王」とした文献も古来より数多く存在する。しかし鎌倉時代には同じ法名を用いた天台座主の尊性法親王がいるので注意が必要である。