太閤堤(たいこうつつみ)とは、豊臣秀吉が伏見城築城に伴い、それまで巨椋池に流れ込んでいた宇治川を分離し伏見城下に誘導するために築いた堤防のことで、宇治から向島までの「槇島堤」、宇治から小倉までの「薗場堤」、小倉から向島までの「小倉堤」、伏見市街下流部から淀に至る「淀堤」の、総称として用いられている。 「淀堤」には、桜などが植えられ庶民から親しまれたことからこれを「太閤堤」と称したとされる。