財団法人大東文化協会(だいとうぶんかきょうかい)は、1923年(大正12年)に設立された法人。かつて大東文化学院および大東文化学院専門学校(旧制専門学校)を運営していた。現在の大東文化大学の母体にあたる。木下成太郎(衆議院議員 実業家)が中心となって帝国議会衆議院本会議において「漢学振興ニ関スル建議案」が可決され、その設立母体として設立された。