堀 親寚(ほり ちかしげ)は、江戸時代後期の外様大名、信濃飯田藩第10代藩主。伺い譜代として、幕閣に連なり、老中にまで登りつめた。身体強壮、目から鼻に抜けるような傑物で、天保の改革を主導した水野忠邦の右腕として「堀の金壺」「堀の八方睨み」と称された。