土屋 挙直(つちや しげなお)は、常陸土浦藩の第11代(最後)の藩主。水戸藩主徳川斉昭の子で、徳川慶喜の異母弟に当たる。 嘉永5年(1852年)9月19日、徳川斉昭の十七男として江戸小石川の水戸藩邸で生まれる。斉昭の従弟で大坂城代を務めた土浦藩の第10代藩主土屋寅直(つちや ともなお)の養子として、慶応4年(1868年)5月6日の寅直の隠居により家督を継いだ。5月15日に従五位下・相模守に叙位・任官する。 明治2年(1869年)6月19日、版籍奉還により土浦藩知事に任じられ子爵となる。明治4年(1871年)7月14日の廃藩置県により免官後、東京へ移り、内務省御用掛と勧農局事務取扱役を兼任し、下総牧羊場に勤めた。 全ての職を辞任した後は、没落していく士族のために農地開発、開拓を積極的に推し進め、旧藩士が「樹芸社」の開墾事業(石岡市旧・新治郡三村)を始めると援助し、土屋農場を経営した。 明治25年(1892年)10月24日死去。享年41。

Property Value
dbo:abstract
  • 土屋 挙直(つちや しげなお)は、常陸土浦藩の第11代(最後)の藩主。水戸藩主徳川斉昭の子で、徳川慶喜の異母弟に当たる。 嘉永5年(1852年)9月19日、徳川斉昭の十七男として江戸小石川の水戸藩邸で生まれる。斉昭の従弟で大坂城代を務めた土浦藩の第10代藩主土屋寅直(つちや ともなお)の養子として、慶応4年(1868年)5月6日の寅直の隠居により家督を継いだ。5月15日に従五位下・相模守に叙位・任官する。 明治2年(1869年)6月19日、版籍奉還により土浦藩知事に任じられ子爵となる。明治4年(1871年)7月14日の廃藩置県により免官後、東京へ移り、内務省御用掛と勧農局事務取扱役を兼任し、下総牧羊場に勤めた。 全ての職を辞任した後は、没落していく士族のために農地開発、開拓を積極的に推し進め、旧藩士が「樹芸社」の開墾事業(石岡市旧・新治郡三村)を始めると援助し、土屋農場を経営した。 明治25年(1892年)10月24日死去。享年41。 (ja)
  • 土屋 挙直(つちや しげなお)は、常陸土浦藩の第11代(最後)の藩主。水戸藩主徳川斉昭の子で、徳川慶喜の異母弟に当たる。 嘉永5年(1852年)9月19日、徳川斉昭の十七男として江戸小石川の水戸藩邸で生まれる。斉昭の従弟で大坂城代を務めた土浦藩の第10代藩主土屋寅直(つちや ともなお)の養子として、慶応4年(1868年)5月6日の寅直の隠居により家督を継いだ。5月15日に従五位下・相模守に叙位・任官する。 明治2年(1869年)6月19日、版籍奉還により土浦藩知事に任じられ子爵となる。明治4年(1871年)7月14日の廃藩置県により免官後、東京へ移り、内務省御用掛と勧農局事務取扱役を兼任し、下総牧羊場に勤めた。 全ての職を辞任した後は、没落していく士族のために農地開発、開拓を積極的に推し進め、旧藩士が「樹芸社」の開墾事業(石岡市旧・新治郡三村)を始めると援助し、土屋農場を経営した。 明治25年(1892年)10月24日死去。享年41。 (ja)
dbo:alias
  • 余七麻呂(幼名)、 (ja)
  • 松平昭邦(初名)→土屋挙直 (ja)
  • 高林院貫山挙直 (ja)
  • 余七麻呂(幼名)、 (ja)
  • 松平昭邦(初名)→土屋挙直 (ja)
  • 高林院貫山挙直 (ja)
dbo:thumbnail
dbo:wikiPageExternalLink
dbo:wikiPageID
  • 1061718 (xsd:integer)
dbo:wikiPageLength
  • 7253 (xsd:nonNegativeInteger)
dbo:wikiPageRevisionID
  • 92106777 (xsd:integer)
dbo:wikiPageWikiLink
prop-ja:after
prop-ja:before
  • 叙爵 (ja)
  • 叙爵 (ja)
prop-ja:date
  • 0001-03-23 (xsd:gMonthDay)
prop-ja:title
  • 子爵 (ja)
  • 子爵 (ja)
prop-ja:wikiPageUsesTemplate
prop-ja:years
  • 1884 (xsd:integer)
  • (土浦)土屋家初代 (ja)
prop-ja:ソートキー
  • 人1892年没 (ja)
  • 人1892年没 (ja)
prop-ja:墓所
  • 法泉寺 (ja)
  • 法泉寺 (ja)
prop-ja:
  • 光子(上野高崎藩主松平輝聴の娘) 側室あり (ja)
  • 光子(上野高崎藩主松平輝聴の娘) 側室あり (ja)
prop-ja:
  • 側室1: 側室2: 特記事項 = 小松宮彰仁親王妃頼子は義母竹子方の従姉、華頂宮博経親王妃郁子(旧姓南部) は父方の姪。 (ja)
  • 側室1: 側室2: 特記事項 = 小松宮彰仁親王妃頼子は義母竹子方の従姉、華頂宮博経親王妃郁子(旧姓南部) は父方の姪。 (ja)
prop-ja:官位
  • 従五位下(1868年)、正五位、従四位、正四位(1892年) (ja)
  • 相模守(1868年) (ja)
  • 従五位下(1868年)、正五位、従四位、正四位(1892年) (ja)
  • 相模守(1868年) (ja)
prop-ja:幕府
prop-ja:戒名
  • 高林院貫山挙直 (ja)
  • 高林院貫山挙直 (ja)
prop-ja:改名
  • 余七麻呂(幼名)、 (ja)
  • 松平昭邦(初名)→土屋挙直 (ja)
  • 余七麻呂(幼名)、 (ja)
  • 松平昭邦(初名)→土屋挙直 (ja)
prop-ja:時代
prop-ja:死没
  • 0001-10-24 (xsd:gMonthDay)
prop-ja:氏名
  • 土屋 挙直 (ja)
  • 土屋 挙直 (ja)
prop-ja:氏族
prop-ja:父母
  • 父:徳川斉昭、母:仁科氏 (ja)
  • 養父:土屋寅直 (ja)
  • 父:徳川斉昭、母:仁科氏 (ja)
  • 養父:土屋寅直 (ja)
prop-ja:生誕
  • 0001-09-19 (xsd:gMonthDay)
prop-ja:画像
  • Tsuchiya Shigenao.jpg (ja)
  • Tsuchiya Shigenao.jpg (ja)
prop-ja:画像サイズ
  • 200 (xsd:integer)
prop-ja:
  • 常陸国土浦藩主 (ja)
  • 常陸国土浦藩主 (ja)
dct:subject
rdf:type
rdfs:comment
  • 土屋 挙直(つちや しげなお)は、常陸土浦藩の第11代(最後)の藩主。水戸藩主徳川斉昭の子で、徳川慶喜の異母弟に当たる。 嘉永5年(1852年)9月19日、徳川斉昭の十七男として江戸小石川の水戸藩邸で生まれる。斉昭の従弟で大坂城代を務めた土浦藩の第10代藩主土屋寅直(つちや ともなお)の養子として、慶応4年(1868年)5月6日の寅直の隠居により家督を継いだ。5月15日に従五位下・相模守に叙位・任官する。 明治2年(1869年)6月19日、版籍奉還により土浦藩知事に任じられ子爵となる。明治4年(1871年)7月14日の廃藩置県により免官後、東京へ移り、内務省御用掛と勧農局事務取扱役を兼任し、下総牧羊場に勤めた。 全ての職を辞任した後は、没落していく士族のために農地開発、開拓を積極的に推し進め、旧藩士が「樹芸社」の開墾事業(石岡市旧・新治郡三村)を始めると援助し、土屋農場を経営した。 明治25年(1892年)10月24日死去。享年41。 (ja)
  • 土屋 挙直(つちや しげなお)は、常陸土浦藩の第11代(最後)の藩主。水戸藩主徳川斉昭の子で、徳川慶喜の異母弟に当たる。 嘉永5年(1852年)9月19日、徳川斉昭の十七男として江戸小石川の水戸藩邸で生まれる。斉昭の従弟で大坂城代を務めた土浦藩の第10代藩主土屋寅直(つちや ともなお)の養子として、慶応4年(1868年)5月6日の寅直の隠居により家督を継いだ。5月15日に従五位下・相模守に叙位・任官する。 明治2年(1869年)6月19日、版籍奉還により土浦藩知事に任じられ子爵となる。明治4年(1871年)7月14日の廃藩置県により免官後、東京へ移り、内務省御用掛と勧農局事務取扱役を兼任し、下総牧羊場に勤めた。 全ての職を辞任した後は、没落していく士族のために農地開発、開拓を積極的に推し進め、旧藩士が「樹芸社」の開墾事業(石岡市旧・新治郡三村)を始めると援助し、土屋農場を経営した。 明治25年(1892年)10月24日死去。享年41。 (ja)
rdfs:label
  • 土屋挙直 (ja)
  • 土屋挙直 (ja)
prov:wasDerivedFrom
foaf:depiction
foaf:isPrimaryTopicOf
foaf:name
  • 土屋 挙直 (ja)
  • 土屋 挙直 (ja)
is dbo:wikiPageRedirects of
is dbo:wikiPageWikiLink of
is prop-ja:兄弟 of
is owl:sameAs of
is foaf:primaryTopic of