国民的歴史学運動(こくみんてきれきしがくうんどう)とは、民主主義科学者協会(民科)歴史部会が1950年代初頭から半ばにかけて、歴史学ひいてはの分野において展開した諸運動を指す。民科が1952年に「国民的科学の創造と普及」を掲げたことに前後して、マルクス主義歴史学に依拠しつつ日本中世史を研究していた歴史学者の石母田正が提唱し、「歴史学の革命」や「歴史学を国民のものに」というスローガンに基づき行われていった。 日本共産党所感派の武装闘争路線と歩調を一にしていた ため、民族主義ととが絡まり合った運動を巡っては激しい議論を惹起した。六全協による方針転換により同党内で「50年問題」が収束し、国際派が主導権を握った1955年から1956年にかけて民科歴史部会が解体するに伴い、衰退していった。運動のイデオローグであった石母田も、1957年に入り自己批判書を提出するなど、国民的歴史学運動は歴史学の中で「過去の悪夢」として忘却の道を歩み、替わって日本歴史学においては、文書史料中心の実証主義が台頭することとなる。