原 玄春(はら げんしゅん、1816年〈文化13年〉 - 1882年〈明治15年〉6月29日)は、江戸時代から明治時代の医師、教育者、画家。號は槐山、または、里山。父は吉益家門人ののち、華岡青洲・春林軒門人であった医師で教育者の原右膳、息子は医師で書家の原貞齋。