北礀居簡(ほっかん きょかん)は、南宋で活動した臨済宗大慧派の禅傑である。字は敬叟。大慧下3世。 隆興2年(1164年)に潼川府(現在の四川省中部)で誕生した。俗姓は竜氏。故郷の広福院円澄に就いて出家し、径山の別峰や塗毒の許に歴参した後、育王山の仏照徳光の法を嗣いだ。嗣法して15年の後、台州の般若禅院の歴世となり、台州報恩光孝禅寺へ移る。その後病を得て飛来峰の北礀に住したことから、北礀居簡と称される様になった。10年を経て湖州鉄観音禅寺、西余大覚禅寺、安吉州思渓円覚禅師、寧国府彰教禅寺、常州顕慶禅寺、碧雲崇明禅寺、平江府常熟県慧日禅寺、道場山護聖万歳院で接化を行った。淳祐6年(1246年)4月1日遷化。 語録として北礀和尚語録があり、ほかに北礀文集、北礀詩集ならびに北礀外集が伝わる。また、墨蹟として登承天万仏閣偈が東京国立博物館にあり、北礀居簡墨蹟として重要文化財に指定されている。法嗣として物初大観や天祐思順らがいる。

Property Value
dbo:abstract
  • 北礀居簡(ほっかん きょかん)は、南宋で活動した臨済宗大慧派の禅傑である。字は敬叟。大慧下3世。 隆興2年(1164年)に潼川府(現在の四川省中部)で誕生した。俗姓は竜氏。故郷の広福院円澄に就いて出家し、径山の別峰や塗毒の許に歴参した後、育王山の仏照徳光の法を嗣いだ。嗣法して15年の後、台州の般若禅院の歴世となり、台州報恩光孝禅寺へ移る。その後病を得て飛来峰の北礀に住したことから、北礀居簡と称される様になった。10年を経て湖州鉄観音禅寺、西余大覚禅寺、安吉州思渓円覚禅師、寧国府彰教禅寺、常州顕慶禅寺、碧雲崇明禅寺、平江府常熟県慧日禅寺、道場山護聖万歳院で接化を行った。淳祐6年(1246年)4月1日遷化。 語録として北礀和尚語録があり、ほかに北礀文集、北礀詩集ならびに北礀外集が伝わる。また、墨蹟として登承天万仏閣偈が東京国立博物館にあり、北礀居簡墨蹟として重要文化財に指定されている。法嗣として物初大観や天祐思順らがいる。 (ja)
  • 北礀居簡(ほっかん きょかん)は、南宋で活動した臨済宗大慧派の禅傑である。字は敬叟。大慧下3世。 隆興2年(1164年)に潼川府(現在の四川省中部)で誕生した。俗姓は竜氏。故郷の広福院円澄に就いて出家し、径山の別峰や塗毒の許に歴参した後、育王山の仏照徳光の法を嗣いだ。嗣法して15年の後、台州の般若禅院の歴世となり、台州報恩光孝禅寺へ移る。その後病を得て飛来峰の北礀に住したことから、北礀居簡と称される様になった。10年を経て湖州鉄観音禅寺、西余大覚禅寺、安吉州思渓円覚禅師、寧国府彰教禅寺、常州顕慶禅寺、碧雲崇明禅寺、平江府常熟県慧日禅寺、道場山護聖万歳院で接化を行った。淳祐6年(1246年)4月1日遷化。 語録として北礀和尚語録があり、ほかに北礀文集、北礀詩集ならびに北礀外集が伝わる。また、墨蹟として登承天万仏閣偈が東京国立博物館にあり、北礀居簡墨蹟として重要文化財に指定されている。法嗣として物初大観や天祐思順らがいる。 (ja)
dbo:wikiPageID
  • 4411204 (xsd:integer)
dbo:wikiPageLength
  • 1086 (xsd:nonNegativeInteger)
dbo:wikiPageRevisionID
  • 90198837 (xsd:integer)
dbo:wikiPageWikiLink
prop-ja:wikiPageUsesTemplate
prop-ja:名前
  • 北礀居簡 (ja)
  • 北礀居簡 (ja)
prop-ja:宗派
prop-ja:寺院
  • 般若禅院、同西余大覚禅寺、鉄観音禅寺、浄慈山光孝禅寺 (ja)
  • 般若禅院、同西余大覚禅寺、鉄観音禅寺、浄慈山光孝禅寺 (ja)
prop-ja:
prop-ja:弟子
prop-ja:生地
prop-ja:生没年
  • 0001-04-01 (xsd:gMonthDay)
  • 0001-04-18 (xsd:gMonthDay)
dct:subject
rdfs:comment
  • 北礀居簡(ほっかん きょかん)は、南宋で活動した臨済宗大慧派の禅傑である。字は敬叟。大慧下3世。 隆興2年(1164年)に潼川府(現在の四川省中部)で誕生した。俗姓は竜氏。故郷の広福院円澄に就いて出家し、径山の別峰や塗毒の許に歴参した後、育王山の仏照徳光の法を嗣いだ。嗣法して15年の後、台州の般若禅院の歴世となり、台州報恩光孝禅寺へ移る。その後病を得て飛来峰の北礀に住したことから、北礀居簡と称される様になった。10年を経て湖州鉄観音禅寺、西余大覚禅寺、安吉州思渓円覚禅師、寧国府彰教禅寺、常州顕慶禅寺、碧雲崇明禅寺、平江府常熟県慧日禅寺、道場山護聖万歳院で接化を行った。淳祐6年(1246年)4月1日遷化。 語録として北礀和尚語録があり、ほかに北礀文集、北礀詩集ならびに北礀外集が伝わる。また、墨蹟として登承天万仏閣偈が東京国立博物館にあり、北礀居簡墨蹟として重要文化財に指定されている。法嗣として物初大観や天祐思順らがいる。 (ja)
  • 北礀居簡(ほっかん きょかん)は、南宋で活動した臨済宗大慧派の禅傑である。字は敬叟。大慧下3世。 隆興2年(1164年)に潼川府(現在の四川省中部)で誕生した。俗姓は竜氏。故郷の広福院円澄に就いて出家し、径山の別峰や塗毒の許に歴参した後、育王山の仏照徳光の法を嗣いだ。嗣法して15年の後、台州の般若禅院の歴世となり、台州報恩光孝禅寺へ移る。その後病を得て飛来峰の北礀に住したことから、北礀居簡と称される様になった。10年を経て湖州鉄観音禅寺、西余大覚禅寺、安吉州思渓円覚禅師、寧国府彰教禅寺、常州顕慶禅寺、碧雲崇明禅寺、平江府常熟県慧日禅寺、道場山護聖万歳院で接化を行った。淳祐6年(1246年)4月1日遷化。 語録として北礀和尚語録があり、ほかに北礀文集、北礀詩集ならびに北礀外集が伝わる。また、墨蹟として登承天万仏閣偈が東京国立博物館にあり、北礀居簡墨蹟として重要文化財に指定されている。法嗣として物初大観や天祐思順らがいる。 (ja)
rdfs:label
  • 北礀居簡 (ja)
  • 北礀居簡 (ja)
prov:wasDerivedFrom
foaf:isPrimaryTopicOf
is dbo:wikiPageWikiLink of
is prop-ja: of
is prop-ja:弟子 of
is owl:sameAs of
is foaf:primaryTopic of