北条 定長(ほうじょう さだなが、生没年不詳)は、鎌倉時代の武士。北条氏名越流出身。父は北条時長、母は未詳。官途は正五位上、備前守。父時長も備前守であったことから、自らが備前守に着任する以前は備前太郎と名乗っていた。系図によっては宗長(むねなが)という別名も記載されている。 史料には「吾妻鏡」の1263年の記事に供奉人として登場するのみであり、顕著な業績はなく、事績は明細ではないが、父時長の地位、役職をそのまま踏襲したと考えられている。 定長は東漸寺と号して富岡に住居を構えた。東漸寺とは神奈川県横浜市磯子区杉田にある臨済宗の寺院で、「北条備前守宗長」を開基としている。 没年については、武家年代記の1309年の記事に「名越備前前々宗長法師」なる人物の訃報が掲載されているが、定長の甥(兄・長頼の子)にも宗長という人物がいるため、明確に区別出来ておらず、未詳である。

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  • 北条 定長(ほうじょう さだなが、生没年不詳)は、鎌倉時代の武士。北条氏名越流出身。父は北条時長、母は未詳。官途は正五位上、備前守。父時長も備前守であったことから、自らが備前守に着任する以前は備前太郎と名乗っていた。系図によっては宗長(むねなが)という別名も記載されている。 史料には「吾妻鏡」の1263年の記事に供奉人として登場するのみであり、顕著な業績はなく、事績は明細ではないが、父時長の地位、役職をそのまま踏襲したと考えられている。 定長は東漸寺と号して富岡に住居を構えた。東漸寺とは神奈川県横浜市磯子区杉田にある臨済宗の寺院で、「北条備前守宗長」を開基としている。 没年については、武家年代記の1309年の記事に「名越備前前々宗長法師」なる人物の訃報が掲載されているが、定長の甥(兄・長頼の子)にも宗長という人物がいるため、明確に区別出来ておらず、未詳である。 (ja)
  • 北条 定長(ほうじょう さだなが、生没年不詳)は、鎌倉時代の武士。北条氏名越流出身。父は北条時長、母は未詳。官途は正五位上、備前守。父時長も備前守であったことから、自らが備前守に着任する以前は備前太郎と名乗っていた。系図によっては宗長(むねなが)という別名も記載されている。 史料には「吾妻鏡」の1263年の記事に供奉人として登場するのみであり、顕著な業績はなく、事績は明細ではないが、父時長の地位、役職をそのまま踏襲したと考えられている。 定長は東漸寺と号して富岡に住居を構えた。東漸寺とは神奈川県横浜市磯子区杉田にある臨済宗の寺院で、「北条備前守宗長」を開基としている。 没年については、武家年代記の1309年の記事に「名越備前前々宗長法師」なる人物の訃報が掲載されているが、定長の甥(兄・長頼の子)にも宗長という人物がいるため、明確に区別出来ておらず、未詳である。 (ja)
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  • 北条 定長(ほうじょう さだなが、生没年不詳)は、鎌倉時代の武士。北条氏名越流出身。父は北条時長、母は未詳。官途は正五位上、備前守。父時長も備前守であったことから、自らが備前守に着任する以前は備前太郎と名乗っていた。系図によっては宗長(むねなが)という別名も記載されている。 史料には「吾妻鏡」の1263年の記事に供奉人として登場するのみであり、顕著な業績はなく、事績は明細ではないが、父時長の地位、役職をそのまま踏襲したと考えられている。 定長は東漸寺と号して富岡に住居を構えた。東漸寺とは神奈川県横浜市磯子区杉田にある臨済宗の寺院で、「北条備前守宗長」を開基としている。 没年については、武家年代記の1309年の記事に「名越備前前々宗長法師」なる人物の訃報が掲載されているが、定長の甥(兄・長頼の子)にも宗長という人物がいるため、明確に区別出来ておらず、未詳である。 (ja)
  • 北条 定長(ほうじょう さだなが、生没年不詳)は、鎌倉時代の武士。北条氏名越流出身。父は北条時長、母は未詳。官途は正五位上、備前守。父時長も備前守であったことから、自らが備前守に着任する以前は備前太郎と名乗っていた。系図によっては宗長(むねなが)という別名も記載されている。 史料には「吾妻鏡」の1263年の記事に供奉人として登場するのみであり、顕著な業績はなく、事績は明細ではないが、父時長の地位、役職をそのまま踏襲したと考えられている。 定長は東漸寺と号して富岡に住居を構えた。東漸寺とは神奈川県横浜市磯子区杉田にある臨済宗の寺院で、「北条備前守宗長」を開基としている。 没年については、武家年代記の1309年の記事に「名越備前前々宗長法師」なる人物の訃報が掲載されているが、定長の甥(兄・長頼の子)にも宗長という人物がいるため、明確に区別出来ておらず、未詳である。 (ja)
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  • 北条定長 (ja)
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