内藤 晋(ないとう すすむ、1922年〈大正11年〉 - 2007年〈平成19年〉8月11日)は、日本のスピードスケート選手。戦後のスピードスケート界を代表する人物の1人とされ、1951年(昭和26年)にスイスで開催された世界選手権で、日本新記録で優勝を飾った。その実績と将来性から、冬季オリンピックの代表選手に2度選ばれたが、戦争と自身の病気によりその2度とも出場の機会を失い、「不運のアスリート」とも呼ばれる。現役引退後はオリンピック日本代表選手のコーチとして、スケート界の発展に尽くした。