伊江 朝藩(いえ ちょうはん、1740年〈元文5年/乾隆5年〉 - 1801年〈寛政13年/享和元年/嘉慶6年〉)は、琉球王国第二尚王氏王統の人。唐名は向執仲。伊江御殿七世である伊江王子朝倚の長男。伊江御殿八世。 1755年(宝暦5年/乾隆20年)8月1日、欹髻を結い、伊江島大城の名島を賜る。同年12月1日、南風之平等総與頭職となる。1760年(宝暦10年/乾隆25年)2月1日、寺社奉行職に就く。 1763年(宝暦13年/乾隆28年)、家統を継いで伊江島地頭職に任ぜられる。1769年(明和6年/乾隆34年)、大与奉行職、1780年(安永9年/乾隆45年)、御系図奉行職に任ぜられる。

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  • 伊江 朝藩(いえ ちょうはん、1740年〈元文5年/乾隆5年〉 - 1801年〈寛政13年/享和元年/嘉慶6年〉)は、琉球王国第二尚王氏王統の人。唐名は向執仲。伊江御殿七世である伊江王子朝倚の長男。伊江御殿八世。 1755年(宝暦5年/乾隆20年)8月1日、欹髻を結い、伊江島大城の名島を賜る。同年12月1日、南風之平等総與頭職となる。1760年(宝暦10年/乾隆25年)2月1日、寺社奉行職に就く。 1763年(宝暦13年/乾隆28年)、家統を継いで伊江島地頭職に任ぜられる。1769年(明和6年/乾隆34年)、大与奉行職、1780年(安永9年/乾隆45年)、御系図奉行職に任ぜられる。 (ja)
  • 伊江 朝藩(いえ ちょうはん、1740年〈元文5年/乾隆5年〉 - 1801年〈寛政13年/享和元年/嘉慶6年〉)は、琉球王国第二尚王氏王統の人。唐名は向執仲。伊江御殿七世である伊江王子朝倚の長男。伊江御殿八世。 1755年(宝暦5年/乾隆20年)8月1日、欹髻を結い、伊江島大城の名島を賜る。同年12月1日、南風之平等総與頭職となる。1760年(宝暦10年/乾隆25年)2月1日、寺社奉行職に就く。 1763年(宝暦13年/乾隆28年)、家統を継いで伊江島地頭職に任ぜられる。1769年(明和6年/乾隆34年)、大与奉行職、1780年(安永9年/乾隆45年)、御系図奉行職に任ぜられる。 (ja)
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  • 伊江 朝藩(いえ ちょうはん、1740年〈元文5年/乾隆5年〉 - 1801年〈寛政13年/享和元年/嘉慶6年〉)は、琉球王国第二尚王氏王統の人。唐名は向執仲。伊江御殿七世である伊江王子朝倚の長男。伊江御殿八世。 1755年(宝暦5年/乾隆20年)8月1日、欹髻を結い、伊江島大城の名島を賜る。同年12月1日、南風之平等総與頭職となる。1760年(宝暦10年/乾隆25年)2月1日、寺社奉行職に就く。 1763年(宝暦13年/乾隆28年)、家統を継いで伊江島地頭職に任ぜられる。1769年(明和6年/乾隆34年)、大与奉行職、1780年(安永9年/乾隆45年)、御系図奉行職に任ぜられる。 (ja)
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