伊江 朝直(いえ ちょうちょく、1818年9月23日〈嘉慶23年8月23日〉 - 1896年〈明治29年〉1月4日)は、琉球王国末期の王族で、伊江御殿十一世に当たる。琉球王国17代尚灝王の四男であり、最後の国王尚泰王の叔父にあたる。琉球最後の摂政として琉球処分の難局に対処した。朝忠と称していたが、島津忠義(太守公)が藩主となり、同字を忌避して朝直と改めた。維新慶賀では正使を務め、日本の鉄道開業賀礼に参列した。単に伊江王子とも表記される。唐名は尚健(しょうけん)。

Property Value
dbo:abstract
  • 伊江 朝直(いえ ちょうちょく、1818年9月23日〈嘉慶23年8月23日〉 - 1896年〈明治29年〉1月4日)は、琉球王国末期の王族で、伊江御殿十一世に当たる。琉球王国17代尚灝王の四男であり、最後の国王尚泰王の叔父にあたる。琉球最後の摂政として琉球処分の難局に対処した。朝忠と称していたが、島津忠義(太守公)が藩主となり、同字を忌避して朝直と改めた。維新慶賀では正使を務め、日本の鉄道開業賀礼に参列した。単に伊江王子とも表記される。唐名は尚健(しょうけん)。 (ja)
  • 伊江 朝直(いえ ちょうちょく、1818年9月23日〈嘉慶23年8月23日〉 - 1896年〈明治29年〉1月4日)は、琉球王国末期の王族で、伊江御殿十一世に当たる。琉球王国17代尚灝王の四男であり、最後の国王尚泰王の叔父にあたる。琉球最後の摂政として琉球処分の難局に対処した。朝忠と称していたが、島津忠義(太守公)が藩主となり、同字を忌避して朝直と改めた。維新慶賀では正使を務め、日本の鉄道開業賀礼に参列した。単に伊江王子とも表記される。唐名は尚健(しょうけん)。 (ja)
dbo:thumbnail
dbo:wikiPageID
  • 3547373 (xsd:integer)
dbo:wikiPageLength
  • 6852 (xsd:nonNegativeInteger)
dbo:wikiPageRevisionID
  • 90171493 (xsd:integer)
dbo:wikiPageWikiLink
prop-ja:wikiPageUsesTemplate
prop-ja:出典の明記
  • 0001-06-17 (xsd:gMonthDay)
prop-ja:脚注の不足
  • 0001-07-22 (xsd:gMonthDay)
dct:subject
rdfs:comment
  • 伊江 朝直(いえ ちょうちょく、1818年9月23日〈嘉慶23年8月23日〉 - 1896年〈明治29年〉1月4日)は、琉球王国末期の王族で、伊江御殿十一世に当たる。琉球王国17代尚灝王の四男であり、最後の国王尚泰王の叔父にあたる。琉球最後の摂政として琉球処分の難局に対処した。朝忠と称していたが、島津忠義(太守公)が藩主となり、同字を忌避して朝直と改めた。維新慶賀では正使を務め、日本の鉄道開業賀礼に参列した。単に伊江王子とも表記される。唐名は尚健(しょうけん)。 (ja)
  • 伊江 朝直(いえ ちょうちょく、1818年9月23日〈嘉慶23年8月23日〉 - 1896年〈明治29年〉1月4日)は、琉球王国末期の王族で、伊江御殿十一世に当たる。琉球王国17代尚灝王の四男であり、最後の国王尚泰王の叔父にあたる。琉球最後の摂政として琉球処分の難局に対処した。朝忠と称していたが、島津忠義(太守公)が藩主となり、同字を忌避して朝直と改めた。維新慶賀では正使を務め、日本の鉄道開業賀礼に参列した。単に伊江王子とも表記される。唐名は尚健(しょうけん)。 (ja)
rdfs:label
  • 伊江朝直 (ja)
  • 伊江朝直 (ja)
prov:wasDerivedFrom
foaf:depiction
foaf:isPrimaryTopicOf
is dbo:wikiPageWikiLink of
is prop-ja:人物 of
is owl:sameAs of
is foaf:primaryTopic of