今井 信俊(いまい のぶとし)は、甲斐武田家に仕えた武将。使番十二人衆を経て足軽大将衆足軽10人持ちとなる。武田家滅亡後は徳川家康のもとで駿河田中城の城代を務めた。文禄4年(1595年)に74歳で死去。子は(が武田勝頼に従って殉じた為、徳川家康より命じられと称した)。孫はで、一時罷免されたが、大坂冬の陣にて戦功を上げて甲州八代郡内の本領を与えられ、以降、高尾氏を称して徳川旗本となる。