井伊 直虎(いい なおとら)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての遠江井伊谷の領主。 「井伊直虎」という名の人物についての同時代史料は一通の書状しか存在しないが、通説では江戸時代中期の享保15年(1730年)に書かれた井伊氏の家伝『井伊家伝記』において、女性ながら井伊家当主になったと記載された井伊直盛の娘・次郎法師(じろうほうし)と同一人物とされる。次郎法師は井伊直親と婚約したといわれるが生涯未婚で、直親の遺児で後の徳川四天王・井伊直政の養母と伝わる。 なお通説は上記の通りだが、直虎の出自や、直虎と次郎法師が同一人物か否かについては歴史家・研究者によって意見が分かれている(参照)。