久留島 通彦(くるしま みちひこ、1886年〈明治19年〉2月20日 - 1977年〈昭和52年〉10月2日)は、大正から昭和にかけて活動した日本の実業家である。戦前は主として電気事業に関わり矢作水力の支配人から副社長まで昇任。戦後は同社から派生した化学メーカー東亞合成化学工業(現・東亞合成)の会長を務めた。大分県出身。