中川 光重(なかがわ みつしげ、永禄5年(1562年) - 慶長19年11月21日(1614年12月21日))は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、茶人。織田家、加賀藩前田家の家臣。中川重政の子。妻は前田利家の次女・(瑞雲院)。通称は清六郎。出家後は宗半、巨海斎と号したため、中川宗半の名で知られる。