両都両港開市開港延期問題(りょうとりょうこうかいしかいこうえんきもんだい)は、日本の幕末期における外交問題。江戸幕府は安政五カ国条約によって、江戸・大阪(両都)の開市と新潟・兵庫(両港)の開港を約束していたが、国内問題によって、それを遅延せざるをえなくなった問題である。 幕府は交渉のため、文久遣欧使節(正使・竹内保徳)を送り、最終的にロンドン覚書やによって遅延が認められたが、代わりに輸入関税の低減化や特定品目の輸出自由化などの代償を負うことになった。