上畑 鉄之丞(うえはた てつのじょう、1940年(昭和15年)10月2日 - 2017年(平成29年)11月9日)は、日本の医学者、旧国立公衆衛生院名誉教授。過労死研究の第一人者であり、過労死という言葉の生みの親である。 滋賀県生まれ。1965年岡山大学医学部卒業。同大学大学院修了。1970年「脳卒中の発生要因に関する衛生学的知見」で医学博士。1973年杏林大学医学部衛生学教室助教授。1978年の研究で「過労死」という言葉を初めて使用した。当初は学会では受け入れられなかったという。1985年ストレス疾患労災研究会を設立し、全国規模の過労死研究を推進した。1987年から国立公衆衛生院疫学部成人病室長、栄養生化学部長を経て、1997年国立公衆衛生院次長。2002年から聖徳大学教授(- 2007年)。2005年に過労死・自死相談センターを設立した。 日本産業衛生学会産業指導医、日本社会医学会理事長などの要職を歴任した。

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  • 上畑 鉄之丞(うえはた てつのじょう、1940年(昭和15年)10月2日 - 2017年(平成29年)11月9日)は、日本の医学者、旧国立公衆衛生院名誉教授。過労死研究の第一人者であり、過労死という言葉の生みの親である。 滋賀県生まれ。1965年岡山大学医学部卒業。同大学大学院修了。1970年「脳卒中の発生要因に関する衛生学的知見」で医学博士。1973年杏林大学医学部衛生学教室助教授。1978年の研究で「過労死」という言葉を初めて使用した。当初は学会では受け入れられなかったという。1985年ストレス疾患労災研究会を設立し、全国規模の過労死研究を推進した。1987年から国立公衆衛生院疫学部成人病室長、栄養生化学部長を経て、1997年国立公衆衛生院次長。2002年から聖徳大学教授(- 2007年)。2005年に過労死・自死相談センターを設立した。 日本産業衛生学会産業指導医、日本社会医学会理事長などの要職を歴任した。 (ja)
  • 上畑 鉄之丞(うえはた てつのじょう、1940年(昭和15年)10月2日 - 2017年(平成29年)11月9日)は、日本の医学者、旧国立公衆衛生院名誉教授。過労死研究の第一人者であり、過労死という言葉の生みの親である。 滋賀県生まれ。1965年岡山大学医学部卒業。同大学大学院修了。1970年「脳卒中の発生要因に関する衛生学的知見」で医学博士。1973年杏林大学医学部衛生学教室助教授。1978年の研究で「過労死」という言葉を初めて使用した。当初は学会では受け入れられなかったという。1985年ストレス疾患労災研究会を設立し、全国規模の過労死研究を推進した。1987年から国立公衆衛生院疫学部成人病室長、栄養生化学部長を経て、1997年国立公衆衛生院次長。2002年から聖徳大学教授(- 2007年)。2005年に過労死・自死相談センターを設立した。 日本産業衛生学会産業指導医、日本社会医学会理事長などの要職を歴任した。 (ja)
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  • 上畑 鉄之丞(うえはた てつのじょう、1940年(昭和15年)10月2日 - 2017年(平成29年)11月9日)は、日本の医学者、旧国立公衆衛生院名誉教授。過労死研究の第一人者であり、過労死という言葉の生みの親である。 滋賀県生まれ。1965年岡山大学医学部卒業。同大学大学院修了。1970年「脳卒中の発生要因に関する衛生学的知見」で医学博士。1973年杏林大学医学部衛生学教室助教授。1978年の研究で「過労死」という言葉を初めて使用した。当初は学会では受け入れられなかったという。1985年ストレス疾患労災研究会を設立し、全国規模の過労死研究を推進した。1987年から国立公衆衛生院疫学部成人病室長、栄養生化学部長を経て、1997年国立公衆衛生院次長。2002年から聖徳大学教授(- 2007年)。2005年に過労死・自死相談センターを設立した。 日本産業衛生学会産業指導医、日本社会医学会理事長などの要職を歴任した。 (ja)
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