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- 上東門院小馬命婦(じょうとうもんいんこまのみょうぶ、生没年不詳)は、平安時代の女流歌人。円融朝の歌人で、家集『』で知られる同名の小馬命婦とは別人。 『尊卑分脈』の系図より藤原南家・藤原棟世の娘であることが、また『』の詞書より母が『枕草子』の著者として知られる清少納言であることが知られ、一条天皇の皇后・上東門院彰子に仕えたことから円融朝の小馬命婦と区別し上東門院小馬命婦と称される。 『後拾遺和歌集』に以下の1首が採られている。 為家朝臣、物言ひける女にかれがれに成りて後、みあれの日暮にはと言ひて、葵をおこせて侍ければ、娘に代はりて詠み侍りける 小馬命婦その色の 草ともみえず 枯れにしを いかに言ひてか 今日はかくべき — 『後拾遺集』908番 (ja)
- 上東門院小馬命婦(じょうとうもんいんこまのみょうぶ、生没年不詳)は、平安時代の女流歌人。円融朝の歌人で、家集『』で知られる同名の小馬命婦とは別人。 『尊卑分脈』の系図より藤原南家・藤原棟世の娘であることが、また『』の詞書より母が『枕草子』の著者として知られる清少納言であることが知られ、一条天皇の皇后・上東門院彰子に仕えたことから円融朝の小馬命婦と区別し上東門院小馬命婦と称される。 『後拾遺和歌集』に以下の1首が採られている。 為家朝臣、物言ひける女にかれがれに成りて後、みあれの日暮にはと言ひて、葵をおこせて侍ければ、娘に代はりて詠み侍りける 小馬命婦その色の 草ともみえず 枯れにしを いかに言ひてか 今日はかくべき — 『後拾遺集』908番 (ja)
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- 上東門院小馬命婦(じょうとうもんいんこまのみょうぶ、生没年不詳)は、平安時代の女流歌人。円融朝の歌人で、家集『』で知られる同名の小馬命婦とは別人。 『尊卑分脈』の系図より藤原南家・藤原棟世の娘であることが、また『』の詞書より母が『枕草子』の著者として知られる清少納言であることが知られ、一条天皇の皇后・上東門院彰子に仕えたことから円融朝の小馬命婦と区別し上東門院小馬命婦と称される。 『後拾遺和歌集』に以下の1首が採られている。 為家朝臣、物言ひける女にかれがれに成りて後、みあれの日暮にはと言ひて、葵をおこせて侍ければ、娘に代はりて詠み侍りける 小馬命婦その色の 草ともみえず 枯れにしを いかに言ひてか 今日はかくべき — 『後拾遺集』908番 (ja)
- 上東門院小馬命婦(じょうとうもんいんこまのみょうぶ、生没年不詳)は、平安時代の女流歌人。円融朝の歌人で、家集『』で知られる同名の小馬命婦とは別人。 『尊卑分脈』の系図より藤原南家・藤原棟世の娘であることが、また『』の詞書より母が『枕草子』の著者として知られる清少納言であることが知られ、一条天皇の皇后・上東門院彰子に仕えたことから円融朝の小馬命婦と区別し上東門院小馬命婦と称される。 『後拾遺和歌集』に以下の1首が採られている。 為家朝臣、物言ひける女にかれがれに成りて後、みあれの日暮にはと言ひて、葵をおこせて侍ければ、娘に代はりて詠み侍りける 小馬命婦その色の 草ともみえず 枯れにしを いかに言ひてか 今日はかくべき — 『後拾遺集』908番 (ja)
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- 上東門院小馬命婦 (ja)
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