一色 範視(いっしき のりみ)は、江戸時代の旗本。式部一色氏当主。石高2000石。 『寛永諸家系図伝』では改名前の「範次」で記載されるが、『断家譜』より「範視」と後に改名したことが分かる。『寛政重修諸家譜』では範親。実子は諸説あり『断家譜』では一男一女であるが、『寛政重修諸家譜』では二男三女となっている。 元和8年(1622年)に徳川家光に拝謁した後、書院番士となる。寛永10年(1633年)、父・一色範勝の死去に伴い家督を継承する。慶安3年(1650年)、42歳で死去。 家督は義弟で養子の範風(範供)が継承した。

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  • 一色 範視(いっしき のりみ)は、江戸時代の旗本。式部一色氏当主。石高2000石。 『寛永諸家系図伝』では改名前の「範次」で記載されるが、『断家譜』より「範視」と後に改名したことが分かる。『寛政重修諸家譜』では範親。実子は諸説あり『断家譜』では一男一女であるが、『寛政重修諸家譜』では二男三女となっている。 元和8年(1622年)に徳川家光に拝謁した後、書院番士となる。寛永10年(1633年)、父・一色範勝の死去に伴い家督を継承する。慶安3年(1650年)、42歳で死去。 家督は義弟で養子の範風(範供)が継承した。 (ja)
  • 一色 範視(いっしき のりみ)は、江戸時代の旗本。式部一色氏当主。石高2000石。 『寛永諸家系図伝』では改名前の「範次」で記載されるが、『断家譜』より「範視」と後に改名したことが分かる。『寛政重修諸家譜』では範親。実子は諸説あり『断家譜』では一男一女であるが、『寛政重修諸家譜』では二男三女となっている。 元和8年(1622年)に徳川家光に拝謁した後、書院番士となる。寛永10年(1633年)、父・一色範勝の死去に伴い家督を継承する。慶安3年(1650年)、42歳で死去。 家督は義弟で養子の範風(範供)が継承した。 (ja)
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  • 範親(『寛政重修諸家譜』)、通称:右馬助 (ja)
  • 範次→範視 (ja)
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  • 範視、範尚(左近)、範規、大橋重政室 (ja)
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  • 範親(『寛政重修諸家譜』)、通称:右馬助 (ja)
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  • 後室:片桐貞隆娘 (ja)
  • 正室:榊原照久娘 (ja)
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  • 江戸幕府旗本 (ja)
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  • 一色 範視(いっしき のりみ)は、江戸時代の旗本。式部一色氏当主。石高2000石。 『寛永諸家系図伝』では改名前の「範次」で記載されるが、『断家譜』より「範視」と後に改名したことが分かる。『寛政重修諸家譜』では範親。実子は諸説あり『断家譜』では一男一女であるが、『寛政重修諸家譜』では二男三女となっている。 元和8年(1622年)に徳川家光に拝謁した後、書院番士となる。寛永10年(1633年)、父・一色範勝の死去に伴い家督を継承する。慶安3年(1650年)、42歳で死去。 家督は義弟で養子の範風(範供)が継承した。 (ja)
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