ヴァンディーノ・ヴィヴァルディ (イタリア語: Vandino Vivaldi ヴァディーノ(Vadino)やグイード(Guido)とも) とウゴリーノ・ヴィヴァルディ (イタリア語: Ugolino Vivaldi) は、13世紀末のジェノヴァ人商人の兄弟。知られている限り、初めてヨーロッパからインドまでの海上航路開拓を目指して探検に出た人物である。ウゴリーノは兄ヴァンディーノやテディージョ・ドーリアらとともに、インドへの航海と交易路の開拓を目指して、1291年5月にジェノヴァを出港した。またこの探検は、通商のほかにキリスト教の布教も目的としており、2人のフランシスコ会修道士も同行していた。武装も整えた2隻のガレー船艦隊は北緯28度47分、モロッコ沿岸のゴゾラ (Cape Chaunar)まで到達した後、消息を絶った。彼らは5世紀の西ローマ帝国後、初めて地中海から大西洋へと漕ぎ出した探検家でもあったともいえる。

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  • ヴァンディーノ・ヴィヴァルディ (イタリア語: Vandino Vivaldi ヴァディーノ(Vadino)やグイード(Guido)とも) とウゴリーノ・ヴィヴァルディ (イタリア語: Ugolino Vivaldi) は、13世紀末のジェノヴァ人商人の兄弟。知られている限り、初めてヨーロッパからインドまでの海上航路開拓を目指して探検に出た人物である。ウゴリーノは兄ヴァンディーノやテディージョ・ドーリアらとともに、インドへの航海と交易路の開拓を目指して、1291年5月にジェノヴァを出港した。またこの探検は、通商のほかにキリスト教の布教も目的としており、2人のフランシスコ会修道士も同行していた。武装も整えた2隻のガレー船艦隊は北緯28度47分、モロッコ沿岸のゴゾラ (Cape Chaunar)まで到達した後、消息を絶った。彼らは5世紀の西ローマ帝国後、初めて地中海から大西洋へと漕ぎ出した探検家でもあったともいえる。 14世紀初頭には、ヴィヴァルディ兄弟を捜索するための探検隊がいくつも登場した。1321年、がヴィヴァルディ兄弟を捜索するためジェノヴァを出港してカナリア諸島の島に到達し(後に彼の名をとってランサローテ島と呼ばれる)、20年以上にわたり滞在した。またウゴリーノの息子ソルレオーネ・ディ・ヴィヴァルディも父や叔父を探して、ソマリア沿岸のモガディシュまで到達したといわれている。1455年、ポルトガルのエンリケ航海王子の命を受けてアフリカ西海岸を探検したとアルヴィーゼ・ダ・カダモストの探検隊は、ガンビア川でヴィヴァルディ探検隊の最後の生き残りに遭遇したと報告した。彼らによれば、ヴィヴァルディ探検隊はギニア湾を航行中に1隻が座礁したものの、もう1隻はアイティオピア(エチオピアか)の海岸に到達した。そして乗組員のジェノヴァ人たちは、ギホン(ここではおそらくセネガル川のこと)近くのメナもしくはアメヌアンという地で捕虜になったのだということであった。 (ja)
  • ヴァンディーノ・ヴィヴァルディ (イタリア語: Vandino Vivaldi ヴァディーノ(Vadino)やグイード(Guido)とも) とウゴリーノ・ヴィヴァルディ (イタリア語: Ugolino Vivaldi) は、13世紀末のジェノヴァ人商人の兄弟。知られている限り、初めてヨーロッパからインドまでの海上航路開拓を目指して探検に出た人物である。ウゴリーノは兄ヴァンディーノやテディージョ・ドーリアらとともに、インドへの航海と交易路の開拓を目指して、1291年5月にジェノヴァを出港した。またこの探検は、通商のほかにキリスト教の布教も目的としており、2人のフランシスコ会修道士も同行していた。武装も整えた2隻のガレー船艦隊は北緯28度47分、モロッコ沿岸のゴゾラ (Cape Chaunar)まで到達した後、消息を絶った。彼らは5世紀の西ローマ帝国後、初めて地中海から大西洋へと漕ぎ出した探検家でもあったともいえる。 14世紀初頭には、ヴィヴァルディ兄弟を捜索するための探検隊がいくつも登場した。1321年、がヴィヴァルディ兄弟を捜索するためジェノヴァを出港してカナリア諸島の島に到達し(後に彼の名をとってランサローテ島と呼ばれる)、20年以上にわたり滞在した。またウゴリーノの息子ソルレオーネ・ディ・ヴィヴァルディも父や叔父を探して、ソマリア沿岸のモガディシュまで到達したといわれている。1455年、ポルトガルのエンリケ航海王子の命を受けてアフリカ西海岸を探検したとアルヴィーゼ・ダ・カダモストの探検隊は、ガンビア川でヴィヴァルディ探検隊の最後の生き残りに遭遇したと報告した。彼らによれば、ヴィヴァルディ探検隊はギニア湾を航行中に1隻が座礁したものの、もう1隻はアイティオピア(エチオピアか)の海岸に到達した。そして乗組員のジェノヴァ人たちは、ギホン(ここではおそらくセネガル川のこと)近くのメナもしくはアメヌアンという地で捕虜になったのだということであった。 (ja)
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  • ヴァンディーノ・ヴィヴァルディ (イタリア語: Vandino Vivaldi ヴァディーノ(Vadino)やグイード(Guido)とも) とウゴリーノ・ヴィヴァルディ (イタリア語: Ugolino Vivaldi) は、13世紀末のジェノヴァ人商人の兄弟。知られている限り、初めてヨーロッパからインドまでの海上航路開拓を目指して探検に出た人物である。ウゴリーノは兄ヴァンディーノやテディージョ・ドーリアらとともに、インドへの航海と交易路の開拓を目指して、1291年5月にジェノヴァを出港した。またこの探検は、通商のほかにキリスト教の布教も目的としており、2人のフランシスコ会修道士も同行していた。武装も整えた2隻のガレー船艦隊は北緯28度47分、モロッコ沿岸のゴゾラ (Cape Chaunar)まで到達した後、消息を絶った。彼らは5世紀の西ローマ帝国後、初めて地中海から大西洋へと漕ぎ出した探検家でもあったともいえる。 (ja)
  • ヴァンディーノ・ヴィヴァルディ (イタリア語: Vandino Vivaldi ヴァディーノ(Vadino)やグイード(Guido)とも) とウゴリーノ・ヴィヴァルディ (イタリア語: Ugolino Vivaldi) は、13世紀末のジェノヴァ人商人の兄弟。知られている限り、初めてヨーロッパからインドまでの海上航路開拓を目指して探検に出た人物である。ウゴリーノは兄ヴァンディーノやテディージョ・ドーリアらとともに、インドへの航海と交易路の開拓を目指して、1291年5月にジェノヴァを出港した。またこの探検は、通商のほかにキリスト教の布教も目的としており、2人のフランシスコ会修道士も同行していた。武装も整えた2隻のガレー船艦隊は北緯28度47分、モロッコ沿岸のゴゾラ (Cape Chaunar)まで到達した後、消息を絶った。彼らは5世紀の西ローマ帝国後、初めて地中海から大西洋へと漕ぎ出した探検家でもあったともいえる。 (ja)
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  • ヴィヴァルディ兄弟 (ja)
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