ラリー・シモン(Larry Semon, 1889年7月16日 - 1928年10月8日)は、アメリカ合衆国で無声映画期に活躍したコメディアン、プロデューサー、監督、脚本家である。 まだ短編映画が興行の多くを占めていた1919年から1922年にかけては、映画史上の三大喜劇王と称されるチャップリン・キートン・ロイドの人気を凌ぐ勢いであった。しかし、現在その絶頂期の作品の大半が失われたとされる。 なお、大正期の日本では「ラリイ」「シーモン」と表記されることがあった。また、フランスでは「ジゴト」、イタリアでは「リドリーニ」、スペインでは「ジャイミート」「ロマシン」「トマシン」と呼ばれていた。