ペンシルロケットは、日本で東京大学教授糸川英夫を責任者に開発が進められ、1955年4月12日に発射試験が初成功した小型ロケットシリーズである。初の発射は、東京都国分寺市にあった半地下式銃器発射場を改造した施設で水平方向に行われ、近くには「日本の宇宙開発発祥の地」碑が建てられている。開発名は「タイニー・ランス」。 太平洋戦争に敗れた日本は、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)により航空機研究が禁じられた。戦時中の軍用機開発から音響工学の研究に転じていた糸川は、1952年の渡米時にアメリカ合衆国の宇宙ロケット計画を知り、追いつく第一歩としてロケット旅客機開発を着想。東京大学生産技術研究所AVSA(Avionics and Supersonic Aerodynamics:アビオニクス及び超音速空気力学)班がペンシルロケットの開発と発射実験に取り組んだ。