ナッソーの戦い(英: Battle of Nassau)は、アメリカ独立戦争中の1776年3月3日から4日、バハマのナッソー港にいたイギリス軍をアメリカ側の軍隊が海陸から攻撃したものである。アメリカ海軍とアメリカ海兵隊のそれぞれ前身であり、創設されて間もなかった大陸海軍と大陸海兵隊にとって初めての出航であり、初めての戦闘になったと考えられている。また大陸海兵隊にとっては最初の海陸協働による上陸となった。「ナッソー襲撃」と呼ばれることもある。 大陸海軍の艦隊は1776年2月17日にデラウェアのケープ・ヘンローペンを出港し、バハマで保管されていると考えていた火薬や弾丸を手に入れる目的を持って3月1日にバハマに到着した。2日後に海兵隊が上陸してナッソー港の東端にあるモンタギュー砦を占領したが、火薬が貯蔵されている町には進まなかった。その夜ナッソーの知事がセントオーガスティンに向かう船舶に火薬の大半を積ませた。3月4日、大陸海兵隊は進軍してほとんど守りの無かった町を占領した。 アメリカ側の軍隊は2週間ナッソーに留まり、残っていた火薬や弾丸をできる限り取り上げた。その艦隊は4月初旬にコネチカットのニューロンドンに戻った。その途中でイギリスの補給船を1隻捕獲し、4月6日に行われた海戦ではイギリス海軍のHMSグラスゴーの捕獲に失敗した。

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  • ナッソーの戦い(英: Battle of Nassau)は、アメリカ独立戦争中の1776年3月3日から4日、バハマのナッソー港にいたイギリス軍をアメリカ側の軍隊が海陸から攻撃したものである。アメリカ海軍とアメリカ海兵隊のそれぞれ前身であり、創設されて間もなかった大陸海軍と大陸海兵隊にとって初めての出航であり、初めての戦闘になったと考えられている。また大陸海兵隊にとっては最初の海陸協働による上陸となった。「ナッソー襲撃」と呼ばれることもある。 大陸海軍の艦隊は1776年2月17日にデラウェアのケープ・ヘンローペンを出港し、バハマで保管されていると考えていた火薬や弾丸を手に入れる目的を持って3月1日にバハマに到着した。2日後に海兵隊が上陸してナッソー港の東端にあるモンタギュー砦を占領したが、火薬が貯蔵されている町には進まなかった。その夜ナッソーの知事がセントオーガスティンに向かう船舶に火薬の大半を積ませた。3月4日、大陸海兵隊は進軍してほとんど守りの無かった町を占領した。 アメリカ側の軍隊は2週間ナッソーに留まり、残っていた火薬や弾丸をできる限り取り上げた。その艦隊は4月初旬にコネチカットのニューロンドンに戻った。その途中でイギリスの補給船を1隻捕獲し、4月6日に行われた海戦ではイギリス海軍のHMSグラスゴーの捕獲に失敗した。 (ja)
  • ナッソーの戦い(英: Battle of Nassau)は、アメリカ独立戦争中の1776年3月3日から4日、バハマのナッソー港にいたイギリス軍をアメリカ側の軍隊が海陸から攻撃したものである。アメリカ海軍とアメリカ海兵隊のそれぞれ前身であり、創設されて間もなかった大陸海軍と大陸海兵隊にとって初めての出航であり、初めての戦闘になったと考えられている。また大陸海兵隊にとっては最初の海陸協働による上陸となった。「ナッソー襲撃」と呼ばれることもある。 大陸海軍の艦隊は1776年2月17日にデラウェアのケープ・ヘンローペンを出港し、バハマで保管されていると考えていた火薬や弾丸を手に入れる目的を持って3月1日にバハマに到着した。2日後に海兵隊が上陸してナッソー港の東端にあるモンタギュー砦を占領したが、火薬が貯蔵されている町には進まなかった。その夜ナッソーの知事がセントオーガスティンに向かう船舶に火薬の大半を積ませた。3月4日、大陸海兵隊は進軍してほとんど守りの無かった町を占領した。 アメリカ側の軍隊は2週間ナッソーに留まり、残っていた火薬や弾丸をできる限り取り上げた。その艦隊は4月初旬にコネチカットのニューロンドンに戻った。その途中でイギリスの補給船を1隻捕獲し、4月6日に行われた海戦ではイギリス海軍のHMSグラスゴーの捕獲に失敗した。 (ja)
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  • イギリス
  • アメリカ植民地
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  • ニュープロビデンス島に上陸する大陸海兵隊 (ja)
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  • 大陸軍の勝利
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  • 陸上部隊:大陸海兵隊:200-220、大陸海軍:50、
  • 海上部隊:フリゲート艦:2、スループ・オブ・ウォー:2、ブリガンティン:4、スクーナー:1
  • 大砲:63門、砦:2か所
  • 民兵: 110
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  • ナッソーの戦い(英: Battle of Nassau)は、アメリカ独立戦争中の1776年3月3日から4日、バハマのナッソー港にいたイギリス軍をアメリカ側の軍隊が海陸から攻撃したものである。アメリカ海軍とアメリカ海兵隊のそれぞれ前身であり、創設されて間もなかった大陸海軍と大陸海兵隊にとって初めての出航であり、初めての戦闘になったと考えられている。また大陸海兵隊にとっては最初の海陸協働による上陸となった。「ナッソー襲撃」と呼ばれることもある。 大陸海軍の艦隊は1776年2月17日にデラウェアのケープ・ヘンローペンを出港し、バハマで保管されていると考えていた火薬や弾丸を手に入れる目的を持って3月1日にバハマに到着した。2日後に海兵隊が上陸してナッソー港の東端にあるモンタギュー砦を占領したが、火薬が貯蔵されている町には進まなかった。その夜ナッソーの知事がセントオーガスティンに向かう船舶に火薬の大半を積ませた。3月4日、大陸海兵隊は進軍してほとんど守りの無かった町を占領した。 アメリカ側の軍隊は2週間ナッソーに留まり、残っていた火薬や弾丸をできる限り取り上げた。その艦隊は4月初旬にコネチカットのニューロンドンに戻った。その途中でイギリスの補給船を1隻捕獲し、4月6日に行われた海戦ではイギリス海軍のHMSグラスゴーの捕獲に失敗した。 (ja)
  • ナッソーの戦い(英: Battle of Nassau)は、アメリカ独立戦争中の1776年3月3日から4日、バハマのナッソー港にいたイギリス軍をアメリカ側の軍隊が海陸から攻撃したものである。アメリカ海軍とアメリカ海兵隊のそれぞれ前身であり、創設されて間もなかった大陸海軍と大陸海兵隊にとって初めての出航であり、初めての戦闘になったと考えられている。また大陸海兵隊にとっては最初の海陸協働による上陸となった。「ナッソー襲撃」と呼ばれることもある。 大陸海軍の艦隊は1776年2月17日にデラウェアのケープ・ヘンローペンを出港し、バハマで保管されていると考えていた火薬や弾丸を手に入れる目的を持って3月1日にバハマに到着した。2日後に海兵隊が上陸してナッソー港の東端にあるモンタギュー砦を占領したが、火薬が貯蔵されている町には進まなかった。その夜ナッソーの知事がセントオーガスティンに向かう船舶に火薬の大半を積ませた。3月4日、大陸海兵隊は進軍してほとんど守りの無かった町を占領した。 アメリカ側の軍隊は2週間ナッソーに留まり、残っていた火薬や弾丸をできる限り取り上げた。その艦隊は4月初旬にコネチカットのニューロンドンに戻った。その途中でイギリスの補給船を1隻捕獲し、4月6日に行われた海戦ではイギリス海軍のHMSグラスゴーの捕獲に失敗した。 (ja)
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