ジョーレギベリ (Jauréguiberry) は、フランス海軍が建造した前弩級戦艦であるが、フランス海軍では依然として装甲艦も戦艦も「艦隊装甲艦」と呼称しており区別はしていない。本艦はフランス海軍の1890年海軍計画により主力艦24隻を配備するべく10年間で10隻の戦艦を開始し、本艦はその3隻目であった。命名は、フランス海軍の海軍大将であったにちなむ。  設計者はアントワーヌ・ジャン・アマブル・ラガヌで、設計歴には国産ではマルソー級「マルソー」、輸出用戦艦ではスペイン海軍戦艦「ペラーヨ」やチリ海軍戦艦「」の設計を手がけたベテランである。 本艦の建造途中の1893年にロシア帝国海軍のトゥーロン訪問があり、仏露の親善セレモニーの一環として本艦の進水式が盛大に執り行われたエピソードがある。この時の催しは大成功で、翌1894年に締結された露仏同盟においてフランス海軍の最新技術がロシア海軍に供与され、それに伴い本艦の設計はロシア戦艦に強い影響を与えたのである。また、後にラガヌはロシア海軍戦艦「ツェサレーヴィチ」を手がけた。 第一次世界大戦においては地中海の北アフリカ・フランス間の輸送船団の護衛を務め、ガリポリの戦いにも参加した。1919年に退役し、1934年に売却された。

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  • ジョーレギベリ (Jauréguiberry) は、フランス海軍が建造した前弩級戦艦であるが、フランス海軍では依然として装甲艦も戦艦も「艦隊装甲艦」と呼称しており区別はしていない。本艦はフランス海軍の1890年海軍計画により主力艦24隻を配備するべく10年間で10隻の戦艦を開始し、本艦はその3隻目であった。命名は、フランス海軍の海軍大将であったにちなむ。  設計者はアントワーヌ・ジャン・アマブル・ラガヌで、設計歴には国産ではマルソー級「マルソー」、輸出用戦艦ではスペイン海軍戦艦「ペラーヨ」やチリ海軍戦艦「」の設計を手がけたベテランである。 本艦の建造途中の1893年にロシア帝国海軍のトゥーロン訪問があり、仏露の親善セレモニーの一環として本艦の進水式が盛大に執り行われたエピソードがある。この時の催しは大成功で、翌1894年に締結された露仏同盟においてフランス海軍の最新技術がロシア海軍に供与され、それに伴い本艦の設計はロシア戦艦に強い影響を与えたのである。また、後にラガヌはロシア海軍戦艦「ツェサレーヴィチ」を手がけた。 第一次世界大戦においては地中海の北アフリカ・フランス間の輸送船団の護衛を務め、ガリポリの戦いにも参加した。1919年に退役し、1934年に売却された。 (ja)
  • ジョーレギベリ (Jauréguiberry) は、フランス海軍が建造した前弩級戦艦であるが、フランス海軍では依然として装甲艦も戦艦も「艦隊装甲艦」と呼称しており区別はしていない。本艦はフランス海軍の1890年海軍計画により主力艦24隻を配備するべく10年間で10隻の戦艦を開始し、本艦はその3隻目であった。命名は、フランス海軍の海軍大将であったにちなむ。  設計者はアントワーヌ・ジャン・アマブル・ラガヌで、設計歴には国産ではマルソー級「マルソー」、輸出用戦艦ではスペイン海軍戦艦「ペラーヨ」やチリ海軍戦艦「」の設計を手がけたベテランである。 本艦の建造途中の1893年にロシア帝国海軍のトゥーロン訪問があり、仏露の親善セレモニーの一環として本艦の進水式が盛大に執り行われたエピソードがある。この時の催しは大成功で、翌1894年に締結された露仏同盟においてフランス海軍の最新技術がロシア海軍に供与され、それに伴い本艦の設計はロシア戦艦に強い影響を与えたのである。また、後にラガヌはロシア海軍戦艦「ツェサレーヴィチ」を手がけた。 第一次世界大戦においては地中海の北アフリカ・フランス間の輸送船団の護衛を務め、ガリポリの戦いにも参加した。1919年に退役し、1934年に売却された。 (ja)
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  • ジョーレギベリ (Jauréguiberry) は、フランス海軍が建造した前弩級戦艦であるが、フランス海軍では依然として装甲艦も戦艦も「艦隊装甲艦」と呼称しており区別はしていない。本艦はフランス海軍の1890年海軍計画により主力艦24隻を配備するべく10年間で10隻の戦艦を開始し、本艦はその3隻目であった。命名は、フランス海軍の海軍大将であったにちなむ。  設計者はアントワーヌ・ジャン・アマブル・ラガヌで、設計歴には国産ではマルソー級「マルソー」、輸出用戦艦ではスペイン海軍戦艦「ペラーヨ」やチリ海軍戦艦「」の設計を手がけたベテランである。 本艦の建造途中の1893年にロシア帝国海軍のトゥーロン訪問があり、仏露の親善セレモニーの一環として本艦の進水式が盛大に執り行われたエピソードがある。この時の催しは大成功で、翌1894年に締結された露仏同盟においてフランス海軍の最新技術がロシア海軍に供与され、それに伴い本艦の設計はロシア戦艦に強い影響を与えたのである。また、後にラガヌはロシア海軍戦艦「ツェサレーヴィチ」を手がけた。 第一次世界大戦においては地中海の北アフリカ・フランス間の輸送船団の護衛を務め、ガリポリの戦いにも参加した。1919年に退役し、1934年に売却された。 (ja)
  • ジョーレギベリ (Jauréguiberry) は、フランス海軍が建造した前弩級戦艦であるが、フランス海軍では依然として装甲艦も戦艦も「艦隊装甲艦」と呼称しており区別はしていない。本艦はフランス海軍の1890年海軍計画により主力艦24隻を配備するべく10年間で10隻の戦艦を開始し、本艦はその3隻目であった。命名は、フランス海軍の海軍大将であったにちなむ。  設計者はアントワーヌ・ジャン・アマブル・ラガヌで、設計歴には国産ではマルソー級「マルソー」、輸出用戦艦ではスペイン海軍戦艦「ペラーヨ」やチリ海軍戦艦「」の設計を手がけたベテランである。 本艦の建造途中の1893年にロシア帝国海軍のトゥーロン訪問があり、仏露の親善セレモニーの一環として本艦の進水式が盛大に執り行われたエピソードがある。この時の催しは大成功で、翌1894年に締結された露仏同盟においてフランス海軍の最新技術がロシア海軍に供与され、それに伴い本艦の設計はロシア戦艦に強い影響を与えたのである。また、後にラガヌはロシア海軍戦艦「ツェサレーヴィチ」を手がけた。 第一次世界大戦においては地中海の北アフリカ・フランス間の輸送船団の護衛を務め、ガリポリの戦いにも参加した。1919年に退役し、1934年に売却された。 (ja)
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  • ジョーレギベリ (戦艦) (ja)
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