ジェイムズ・ターナー・モアヘッド(英: James Turner Morehead、1797年5月24日 - 1854年12月28日)は、アメリカ合衆国の政治家であり、第12代ケンタッキー州知事およびアメリカ合衆国上院議員を務めた。ケンタッキーが州になった後に生まれた者として初めて知事になった。ヘンリー・クレイの国民共和党の一員であり、民主党が支配していた州政界に国民共和党が挑戦を始めたまさにその時に政界に入った。 1831年にメリーランド州ボルチモアで開催された党の指名大会で、モアヘッドはケンタッキー州副知事候補に指名され、選挙の結果は民主党知事ジョン・ブレシットと分け合う形になった。1834年にブレシットが死亡したときに、モアヘッドが知事に昇格した。2年間という限られた任期だったので重要な法制化の計画は作れず、内国改良のような政治的に安全な問題に注力することになった。党がホイッグ党と名前を変え、1834年夏に民主党から州議会支配権を奪ったとき、フランクフォートで開催されたホイッグ党初の指名大会でモアヘッドが議長を務めた。