グリーン・ヘイウッド・ハックワース(Green Haywood Hackworth、1883年1月23日 - 1973年6月24日)は、アメリカ合衆国の法学者である。国際司法裁判所(ICJ)の初のアメリカ出身裁判官、ICJ所長、国務省法律顧問、コーデル・ハル国務長官の顧問を務めた。第二次世界大戦後の世界秩序の計画の策定に尽力し、1944年のダンバートン・オークス会議の米国代表団における主要メンバーだった。委員(1942年)、戦後計画委員会委員(1944年)、国際司法裁判所の最初の規約を起草した法学者委員会の委員長(1945年)を務めた。また、国連憲章の国際司法裁判所に関する条文が確定したサンフランシスコ会議に、第四委員会の米国代表団を代表して参加している。