カルケドン(ギリシア語: Χαλκηδών、ラテン語: Chalcedon)は、アナトリア半島北西部に位置した古代都市である。現在のトルコ共和国イスタンブール市カドゥキョイ(トルコ語: Kadıköy)地区にあたる。 紀元前685年、古代ギリシアの都市国家メガラの植民地として建設された。ボスポラス海峡をはさんでビュザンティオンの対岸に位置し、アテナイとスパルタとの間で領有を争われた。のちにアッタロス朝の支配下に入り、紀元前133年、アッタロス3世死去に際し共和政ローマに遺贈されビテュニア属州の一部となった。451年、キリスト教の教義に関するカルケドン公会議が開かれ、カルケドン信条が定められた。 石英鉱物の一種玉髄の英語名カルセドニー (chalcedony) は当地にちなむ。 * 出土した銀の水差し * ギリシア文字で「プロマチオンの息子マトリコンは54年の生涯を全うした」と記された大理石製墓碑。紀元前1世紀、カドゥキョイ出土、イスタンブール考古学博物館蔵。

Property Value
dbo:abstract
  • カルケドン(ギリシア語: Χαλκηδών、ラテン語: Chalcedon)は、アナトリア半島北西部に位置した古代都市である。現在のトルコ共和国イスタンブール市カドゥキョイ(トルコ語: Kadıköy)地区にあたる。 紀元前685年、古代ギリシアの都市国家メガラの植民地として建設された。ボスポラス海峡をはさんでビュザンティオンの対岸に位置し、アテナイとスパルタとの間で領有を争われた。のちにアッタロス朝の支配下に入り、紀元前133年、アッタロス3世死去に際し共和政ローマに遺贈されビテュニア属州の一部となった。451年、キリスト教の教義に関するカルケドン公会議が開かれ、カルケドン信条が定められた。 石英鉱物の一種玉髄の英語名カルセドニー (chalcedony) は当地にちなむ。 * 出土した銀の水差し * ギリシア文字で「プロマチオンの息子マトリコンは54年の生涯を全うした」と記された大理石製墓碑。紀元前1世紀、カドゥキョイ出土、イスタンブール考古学博物館蔵。 (ja)
  • カルケドン(ギリシア語: Χαλκηδών、ラテン語: Chalcedon)は、アナトリア半島北西部に位置した古代都市である。現在のトルコ共和国イスタンブール市カドゥキョイ(トルコ語: Kadıköy)地区にあたる。 紀元前685年、古代ギリシアの都市国家メガラの植民地として建設された。ボスポラス海峡をはさんでビュザンティオンの対岸に位置し、アテナイとスパルタとの間で領有を争われた。のちにアッタロス朝の支配下に入り、紀元前133年、アッタロス3世死去に際し共和政ローマに遺贈されビテュニア属州の一部となった。451年、キリスト教の教義に関するカルケドン公会議が開かれ、カルケドン信条が定められた。 石英鉱物の一種玉髄の英語名カルセドニー (chalcedony) は当地にちなむ。 * 出土した銀の水差し * ギリシア文字で「プロマチオンの息子マトリコンは54年の生涯を全うした」と記された大理石製墓碑。紀元前1世紀、カドゥキョイ出土、イスタンブール考古学博物館蔵。 (ja)
dbo:thumbnail
dbo:wikiPageID
  • 2753060 (xsd:integer)
dbo:wikiPageLength
  • 1796 (xsd:nonNegativeInteger)
dbo:wikiPageRevisionID
  • 88252669 (xsd:integer)
dbo:wikiPageWikiLink
prop-ja:name
  • Chalcedon (ja)
  • カルケドン (ja)
  • Chalcedon (ja)
  • カルケドン (ja)
prop-ja:nativeName
  • Χαλκηδών (ja)
  • Χαλκηδών (ja)
prop-ja:nativeNameLang
  • he (ja)
  • he (ja)
prop-ja:wikiPageUsesTemplate
dct:subject
georss:point
  • 40.99111111111111 29.02611111111111
rdf:type
rdfs:comment
  • カルケドン(ギリシア語: Χαλκηδών、ラテン語: Chalcedon)は、アナトリア半島北西部に位置した古代都市である。現在のトルコ共和国イスタンブール市カドゥキョイ(トルコ語: Kadıköy)地区にあたる。 紀元前685年、古代ギリシアの都市国家メガラの植民地として建設された。ボスポラス海峡をはさんでビュザンティオンの対岸に位置し、アテナイとスパルタとの間で領有を争われた。のちにアッタロス朝の支配下に入り、紀元前133年、アッタロス3世死去に際し共和政ローマに遺贈されビテュニア属州の一部となった。451年、キリスト教の教義に関するカルケドン公会議が開かれ、カルケドン信条が定められた。 石英鉱物の一種玉髄の英語名カルセドニー (chalcedony) は当地にちなむ。 * 出土した銀の水差し * ギリシア文字で「プロマチオンの息子マトリコンは54年の生涯を全うした」と記された大理石製墓碑。紀元前1世紀、カドゥキョイ出土、イスタンブール考古学博物館蔵。 (ja)
  • カルケドン(ギリシア語: Χαλκηδών、ラテン語: Chalcedon)は、アナトリア半島北西部に位置した古代都市である。現在のトルコ共和国イスタンブール市カドゥキョイ(トルコ語: Kadıköy)地区にあたる。 紀元前685年、古代ギリシアの都市国家メガラの植民地として建設された。ボスポラス海峡をはさんでビュザンティオンの対岸に位置し、アテナイとスパルタとの間で領有を争われた。のちにアッタロス朝の支配下に入り、紀元前133年、アッタロス3世死去に際し共和政ローマに遺贈されビテュニア属州の一部となった。451年、キリスト教の教義に関するカルケドン公会議が開かれ、カルケドン信条が定められた。 石英鉱物の一種玉髄の英語名カルセドニー (chalcedony) は当地にちなむ。 * 出土した銀の水差し * ギリシア文字で「プロマチオンの息子マトリコンは54年の生涯を全うした」と記された大理石製墓碑。紀元前1世紀、カドゥキョイ出土、イスタンブール考古学博物館蔵。 (ja)
rdfs:label
  • カルケドン (ja)
  • カルケドン (ja)
owl:sameAs
geo:geometry
  • POINT(29.026111602783 40.991111755371)
geo:lat
  • 40.991112 (xsd:float)
geo:long
  • 29.026112 (xsd:float)
prov:wasDerivedFrom
foaf:depiction
foaf:isPrimaryTopicOf
is dbo:wikiPageWikiLink of
is prop-ja:死去地 of
is prop-ja:生誕地 of
is owl:sameAs of
is foaf:primaryTopic of