カネミ油症事件(カネミゆしょうじけん)とは、1968年(昭和43年)、カネミ倉庫が製造する食用油にポリ塩化ビフェニル(PCB)などのダイオキシン類が製造過程で混入し、その食用油(「カネミライスオイル」と呼ばれた)を摂取した人々やその胎児に障害などが発生した、西日本一帯における食中毒事件である。 福岡県北九州市小倉北区(事件発生当時は小倉区)にあるカネミ倉庫株式会社で作られた食用油(こめ油・米糠油)「カネミライスオイル」の製造過程で、脱臭のために熱媒体として使用されていたPCB(ポリ塩化ビフェニル)が、配管作業ミスで配管部から漏れて混入し、これが加熱されてダイオキシンに変化した。このダイオキシンを油を通して摂取した人々に、顔面などへの色素沈着や塩素挫瘡(クロロアクネ)など肌の異常、頭痛、手足のしびれ、肝機能障害などを引き起こした。 カネミ倉庫は、油にダイオキシン類が含まれていることを知ったあとも汚染油を再精製して売り続けた結果、工場のあった福岡と再精製油が売られた長崎にさらなる被害をもたらした。摂取した患者は現在まで長きにわたり、さまざまな後遺症に悩まされている。なかでも、妊娠していた女性患者から全身が真っ黒の胎児が産まれ、2週間ほどで死亡するという事件が発生。これは社会に大きな衝撃を与え、学界でも国際会議で「YUSHO」と呼称され、世界的な関心を集めた。

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  • カネミ油症事件(カネミゆしょうじけん)とは、1968年(昭和43年)、カネミ倉庫が製造する食用油にポリ塩化ビフェニル(PCB)などのダイオキシン類が製造過程で混入し、その食用油(「カネミライスオイル」と呼ばれた)を摂取した人々やその胎児に障害などが発生した、西日本一帯における食中毒事件である。 福岡県北九州市小倉北区(事件発生当時は小倉区)にあるカネミ倉庫株式会社で作られた食用油(こめ油・米糠油)「カネミライスオイル」の製造過程で、脱臭のために熱媒体として使用されていたPCB(ポリ塩化ビフェニル)が、配管作業ミスで配管部から漏れて混入し、これが加熱されてダイオキシンに変化した。このダイオキシンを油を通して摂取した人々に、顔面などへの色素沈着や塩素挫瘡(クロロアクネ)など肌の異常、頭痛、手足のしびれ、肝機能障害などを引き起こした。 カネミ倉庫は、油にダイオキシン類が含まれていることを知ったあとも汚染油を再精製して売り続けた結果、工場のあった福岡と再精製油が売られた長崎にさらなる被害をもたらした。摂取した患者は現在まで長きにわたり、さまざまな後遺症に悩まされている。なかでも、妊娠していた女性患者から全身が真っ黒の胎児が産まれ、2週間ほどで死亡するという事件が発生。これは社会に大きな衝撃を与え、学界でも国際会議で「YUSHO」と呼称され、世界的な関心を集めた。 (ja)
  • カネミ油症事件(カネミゆしょうじけん)とは、1968年(昭和43年)、カネミ倉庫が製造する食用油にポリ塩化ビフェニル(PCB)などのダイオキシン類が製造過程で混入し、その食用油(「カネミライスオイル」と呼ばれた)を摂取した人々やその胎児に障害などが発生した、西日本一帯における食中毒事件である。 福岡県北九州市小倉北区(事件発生当時は小倉区)にあるカネミ倉庫株式会社で作られた食用油(こめ油・米糠油)「カネミライスオイル」の製造過程で、脱臭のために熱媒体として使用されていたPCB(ポリ塩化ビフェニル)が、配管作業ミスで配管部から漏れて混入し、これが加熱されてダイオキシンに変化した。このダイオキシンを油を通して摂取した人々に、顔面などへの色素沈着や塩素挫瘡(クロロアクネ)など肌の異常、頭痛、手足のしびれ、肝機能障害などを引き起こした。 カネミ倉庫は、油にダイオキシン類が含まれていることを知ったあとも汚染油を再精製して売り続けた結果、工場のあった福岡と再精製油が売られた長崎にさらなる被害をもたらした。摂取した患者は現在まで長きにわたり、さまざまな後遺症に悩まされている。なかでも、妊娠していた女性患者から全身が真っ黒の胎児が産まれ、2週間ほどで死亡するという事件が発生。これは社会に大きな衝撃を与え、学界でも国際会議で「YUSHO」と呼称され、世界的な関心を集めた。 (ja)
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  • 油症研究報告は60巻6号から始まっていることと、その6号の報告「いわゆる油症死産児の1部検例」には奇形について記載されていない。 (ja)
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  • カネミ油症事件(カネミゆしょうじけん)とは、1968年(昭和43年)、カネミ倉庫が製造する食用油にポリ塩化ビフェニル(PCB)などのダイオキシン類が製造過程で混入し、その食用油(「カネミライスオイル」と呼ばれた)を摂取した人々やその胎児に障害などが発生した、西日本一帯における食中毒事件である。 福岡県北九州市小倉北区(事件発生当時は小倉区)にあるカネミ倉庫株式会社で作られた食用油(こめ油・米糠油)「カネミライスオイル」の製造過程で、脱臭のために熱媒体として使用されていたPCB(ポリ塩化ビフェニル)が、配管作業ミスで配管部から漏れて混入し、これが加熱されてダイオキシンに変化した。このダイオキシンを油を通して摂取した人々に、顔面などへの色素沈着や塩素挫瘡(クロロアクネ)など肌の異常、頭痛、手足のしびれ、肝機能障害などを引き起こした。 カネミ倉庫は、油にダイオキシン類が含まれていることを知ったあとも汚染油を再精製して売り続けた結果、工場のあった福岡と再精製油が売られた長崎にさらなる被害をもたらした。摂取した患者は現在まで長きにわたり、さまざまな後遺症に悩まされている。なかでも、妊娠していた女性患者から全身が真っ黒の胎児が産まれ、2週間ほどで死亡するという事件が発生。これは社会に大きな衝撃を与え、学界でも国際会議で「YUSHO」と呼称され、世界的な関心を集めた。 (ja)
  • カネミ油症事件(カネミゆしょうじけん)とは、1968年(昭和43年)、カネミ倉庫が製造する食用油にポリ塩化ビフェニル(PCB)などのダイオキシン類が製造過程で混入し、その食用油(「カネミライスオイル」と呼ばれた)を摂取した人々やその胎児に障害などが発生した、西日本一帯における食中毒事件である。 福岡県北九州市小倉北区(事件発生当時は小倉区)にあるカネミ倉庫株式会社で作られた食用油(こめ油・米糠油)「カネミライスオイル」の製造過程で、脱臭のために熱媒体として使用されていたPCB(ポリ塩化ビフェニル)が、配管作業ミスで配管部から漏れて混入し、これが加熱されてダイオキシンに変化した。このダイオキシンを油を通して摂取した人々に、顔面などへの色素沈着や塩素挫瘡(クロロアクネ)など肌の異常、頭痛、手足のしびれ、肝機能障害などを引き起こした。 カネミ倉庫は、油にダイオキシン類が含まれていることを知ったあとも汚染油を再精製して売り続けた結果、工場のあった福岡と再精製油が売られた長崎にさらなる被害をもたらした。摂取した患者は現在まで長きにわたり、さまざまな後遺症に悩まされている。なかでも、妊娠していた女性患者から全身が真っ黒の胎児が産まれ、2週間ほどで死亡するという事件が発生。これは社会に大きな衝撃を与え、学界でも国際会議で「YUSHO」と呼称され、世界的な関心を集めた。 (ja)
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  • カネミ油症事件 (ja)
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