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- カツシロは日本の競走馬である。1952年春の中山大障碍に優勝、また障害競走で初出走以来19戦連続連対を果たした。 1950年12月の中山で初出走。この競走では9着に敗れ2戦目も14着と惨敗したが、1951年3月に5戦目で初勝利。その後も1勝を挙げたが、目立った成績を残すことはなく4歳秋にして早々に障害入りした。 障害での初戦、9月の東京2100mのサラ系障碍未出走未勝利ではヤシマライトの前に3/4馬身差の2着に敗れたが、2戦目から翌1952年3月まで9連勝を達成。この連勝は中山2850mのサラ系障碍でキクイケのレコード駆けでストップしたが、その後も2連勝を挙げた。5月31日の中山の障害戦でトーンライトの2着となり翌週に行われる中山大障碍に向かった。 中山大障碍は良馬場ながらも午後からの雨が降りしきる中、6頭立てで行われた。カツシロが1番人気支持され、トーンライトが2番人気、キクイケ3番人気でスタートした。まずキクイケが逃げ、続いてトキツリユウ、トーンライト、サチヒカリ、ヤシマホマレ、カツシロの順。カツシロは最初の坂路を越えてヤシマホマレを抜いたが、その後は馬順入れ替わらずにレースが進んだ。レースが動いたのは2周目の向正面で、カツシロがサチヒカリ、トキツリユウを抜いて3位に浮上、トーンライトが最終障害で躓くとかわして2番手となり、直線では逃げ粘るキクイケを外から強襲。坂上で競り落として優勝した。4馬身差の2着にキクイケ、更に3馬身半離れてトーンライトが入り、この2頭に雪辱を果たした格好となった。 大障碍に勝ったことで重負担となりながらも連勝を続けたが、翌1953年に入ると一気に成績が下降し、同年12月23日をもって中央競馬の登録を抹消し、地方競馬に転籍した。 (ja)
- カツシロは日本の競走馬である。1952年春の中山大障碍に優勝、また障害競走で初出走以来19戦連続連対を果たした。 1950年12月の中山で初出走。この競走では9着に敗れ2戦目も14着と惨敗したが、1951年3月に5戦目で初勝利。その後も1勝を挙げたが、目立った成績を残すことはなく4歳秋にして早々に障害入りした。 障害での初戦、9月の東京2100mのサラ系障碍未出走未勝利ではヤシマライトの前に3/4馬身差の2着に敗れたが、2戦目から翌1952年3月まで9連勝を達成。この連勝は中山2850mのサラ系障碍でキクイケのレコード駆けでストップしたが、その後も2連勝を挙げた。5月31日の中山の障害戦でトーンライトの2着となり翌週に行われる中山大障碍に向かった。 中山大障碍は良馬場ながらも午後からの雨が降りしきる中、6頭立てで行われた。カツシロが1番人気支持され、トーンライトが2番人気、キクイケ3番人気でスタートした。まずキクイケが逃げ、続いてトキツリユウ、トーンライト、サチヒカリ、ヤシマホマレ、カツシロの順。カツシロは最初の坂路を越えてヤシマホマレを抜いたが、その後は馬順入れ替わらずにレースが進んだ。レースが動いたのは2周目の向正面で、カツシロがサチヒカリ、トキツリユウを抜いて3位に浮上、トーンライトが最終障害で躓くとかわして2番手となり、直線では逃げ粘るキクイケを外から強襲。坂上で競り落として優勝した。4馬身差の2着にキクイケ、更に3馬身半離れてトーンライトが入り、この2頭に雪辱を果たした格好となった。 大障碍に勝ったことで重負担となりながらも連勝を続けたが、翌1953年に入ると一気に成績が下降し、同年12月23日をもって中央競馬の登録を抹消し、地方競馬に転籍した。 (ja)
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- カツシロは日本の競走馬である。1952年春の中山大障碍に優勝、また障害競走で初出走以来19戦連続連対を果たした。 1950年12月の中山で初出走。この競走では9着に敗れ2戦目も14着と惨敗したが、1951年3月に5戦目で初勝利。その後も1勝を挙げたが、目立った成績を残すことはなく4歳秋にして早々に障害入りした。 障害での初戦、9月の東京2100mのサラ系障碍未出走未勝利ではヤシマライトの前に3/4馬身差の2着に敗れたが、2戦目から翌1952年3月まで9連勝を達成。この連勝は中山2850mのサラ系障碍でキクイケのレコード駆けでストップしたが、その後も2連勝を挙げた。5月31日の中山の障害戦でトーンライトの2着となり翌週に行われる中山大障碍に向かった。 大障碍に勝ったことで重負担となりながらも連勝を続けたが、翌1953年に入ると一気に成績が下降し、同年12月23日をもって中央競馬の登録を抹消し、地方競馬に転籍した。 (ja)
- カツシロは日本の競走馬である。1952年春の中山大障碍に優勝、また障害競走で初出走以来19戦連続連対を果たした。 1950年12月の中山で初出走。この競走では9着に敗れ2戦目も14着と惨敗したが、1951年3月に5戦目で初勝利。その後も1勝を挙げたが、目立った成績を残すことはなく4歳秋にして早々に障害入りした。 障害での初戦、9月の東京2100mのサラ系障碍未出走未勝利ではヤシマライトの前に3/4馬身差の2着に敗れたが、2戦目から翌1952年3月まで9連勝を達成。この連勝は中山2850mのサラ系障碍でキクイケのレコード駆けでストップしたが、その後も2連勝を挙げた。5月31日の中山の障害戦でトーンライトの2着となり翌週に行われる中山大障碍に向かった。 大障碍に勝ったことで重負担となりながらも連勝を続けたが、翌1953年に入ると一気に成績が下降し、同年12月23日をもって中央競馬の登録を抹消し、地方競馬に転籍した。 (ja)
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