1876年アメリカ合衆国大統領選挙(1876ねんアメリカがっしゅうこくだいとうりょうせんきょ、英語: United States presidential election, 1876)は、アメリカの歴史の中でも最も議論を呼び、白熱した大統領選挙の一つとなった。ニューヨーク州出身のサミュエル・ティルデンが一般選挙でラザフォード・ヘイズを破り、選挙人投票でも184票を獲得してヘイズの165票を上回ったが、まだ集計されていない票が20票あった。この20票が論争となった。3つの州(フロリダ州、ルイジアナ州およびサウスカロライナ州)で、それぞれの党がその候補の勝利を報告し、またオレゴン州の選挙人1人は違法(「選挙されたかあるいは指名されたか」という根拠で)と宣言され交代させられた。これらの票は激しい選挙人の議論の後で最終的にヘイズの得票とされた。 多くの歴史家達はある非公式の取り引きが論争を収めるために使われたと信じている。南部がヘイズの当選を黙認する代わりに、共和党は南部から連邦軍が引き上げることに同意し、レコンストラクションを実質的に終わらせたということである。この取引は1877年の妥協と呼ばれた。この妥協でアフリカ系アメリカ人は実質的に政府の権力から排除された。妥協から間もなく、アフリカ系アメリカ人は人頭税やによって投票権を奪われた。