相(しょう)は、夏朝の第5代帝。少康の父。 帝丘に都し、その後即位9年目に斟鄩に遷都し、15年目に帝丘にもう一度遷都したと言われている。 政治を省みなかった暴君であったという。有窮氏の后羿が反乱を起こし、后羿の家臣である寒浞(かんさく)によって殺される。結果、夏の帝室の権力は大いに損なわれた。また、このことで、夏が一旦滅びたという説もある。 『竹書紀年』によると、相元年(戊戌の年)にを討ち、相2年に・を討ったという。また、相7年にが訪れ、相8年に寒浞が后羿を殺し、相28年には寒浞と子の澆の手で殺された。