『竹書紀年』(ちくしょきねん、拼音:Zhúshū Jìnián)は、中国の編年体の歴史書。伝説時代から戦国時代の魏の襄王に至るまでを著述しており、『史記』と共に中国古代史研究の重要資料。竹簡に書かれていたことからこの名で呼ばれるが、発見場所から汲塚紀年(繁体字:汲冢紀年、拼音:Jí Zhǒng Jìnián)とも呼ばれる。 作者、制作年共に不明だが、漢代には既に散逸しており、西晋の太康元年(280年)、汲郡(現在の河南省北部)にあった魏の安釐王の墓を盗掘した際、大量の文字を記した竹簡(汲冢書)が出土し、書籍として編纂された。『史記』に記載されていない話も見えており、同書の年表における誤りの修正が為されている。 唐代および北宋代に再び散佚し、清代になってようやく佚文が集成され始め、中華民国の時代になってから、司馬貞の『史記索隠』に引用された文献から『竹書紀年』を復元する試みも行われ、大きな成果を上げ、現在でも続いている。 明代に別の『竹書紀年』が出現したが、これは偽作であり、本来の方を「古本」、偽作のほうを「今本」と呼んでいる。

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  • 『竹書紀年』(ちくしょきねん、拼音:Zhúshū Jìnián)は、中国の編年体の歴史書。伝説時代から戦国時代の魏の襄王に至るまでを著述しており、『史記』と共に中国古代史研究の重要資料。竹簡に書かれていたことからこの名で呼ばれるが、発見場所から汲塚紀年(繁体字:汲冢紀年、拼音:Jí Zhǒng Jìnián)とも呼ばれる。 作者、制作年共に不明だが、漢代には既に散逸しており、西晋の太康元年(280年)、汲郡(現在の河南省北部)にあった魏の安釐王の墓を盗掘した際、大量の文字を記した竹簡(汲冢書)が出土し、書籍として編纂された。『史記』に記載されていない話も見えており、同書の年表における誤りの修正が為されている。 唐代および北宋代に再び散佚し、清代になってようやく佚文が集成され始め、中華民国の時代になってから、司馬貞の『史記索隠』に引用された文献から『竹書紀年』を復元する試みも行われ、大きな成果を上げ、現在でも続いている。 明代に別の『竹書紀年』が出現したが、これは偽作であり、本来の方を「古本」、偽作のほうを「今本」と呼んでいる。 (ja)
  • 『竹書紀年』(ちくしょきねん、拼音:Zhúshū Jìnián)は、中国の編年体の歴史書。伝説時代から戦国時代の魏の襄王に至るまでを著述しており、『史記』と共に中国古代史研究の重要資料。竹簡に書かれていたことからこの名で呼ばれるが、発見場所から汲塚紀年(繁体字:汲冢紀年、拼音:Jí Zhǒng Jìnián)とも呼ばれる。 作者、制作年共に不明だが、漢代には既に散逸しており、西晋の太康元年(280年)、汲郡(現在の河南省北部)にあった魏の安釐王の墓を盗掘した際、大量の文字を記した竹簡(汲冢書)が出土し、書籍として編纂された。『史記』に記載されていない話も見えており、同書の年表における誤りの修正が為されている。 唐代および北宋代に再び散佚し、清代になってようやく佚文が集成され始め、中華民国の時代になってから、司馬貞の『史記索隠』に引用された文献から『竹書紀年』を復元する試みも行われ、大きな成果を上げ、現在でも続いている。 明代に別の『竹書紀年』が出現したが、これは偽作であり、本来の方を「古本」、偽作のほうを「今本」と呼んでいる。 (ja)
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  • 『竹書紀年』(ちくしょきねん、拼音:Zhúshū Jìnián)は、中国の編年体の歴史書。伝説時代から戦国時代の魏の襄王に至るまでを著述しており、『史記』と共に中国古代史研究の重要資料。竹簡に書かれていたことからこの名で呼ばれるが、発見場所から汲塚紀年(繁体字:汲冢紀年、拼音:Jí Zhǒng Jìnián)とも呼ばれる。 作者、制作年共に不明だが、漢代には既に散逸しており、西晋の太康元年(280年)、汲郡(現在の河南省北部)にあった魏の安釐王の墓を盗掘した際、大量の文字を記した竹簡(汲冢書)が出土し、書籍として編纂された。『史記』に記載されていない話も見えており、同書の年表における誤りの修正が為されている。 唐代および北宋代に再び散佚し、清代になってようやく佚文が集成され始め、中華民国の時代になってから、司馬貞の『史記索隠』に引用された文献から『竹書紀年』を復元する試みも行われ、大きな成果を上げ、現在でも続いている。 明代に別の『竹書紀年』が出現したが、これは偽作であり、本来の方を「古本」、偽作のほうを「今本」と呼んでいる。 (ja)
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  • 竹書紀年 (ja)
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