『満韓ところどころ』(まんかんところどころ)は夏目漱石の随筆である。漱石は1909年(明治42年)9月2日から10月14日まで満州・朝鮮を旅行した。その紀行文が「満韓ところどころ」である。朝日新聞に1909年(明治42年)10月21日から12月30日まで掲載され、1910年(明治43年)5月、「夢十夜」「永日小品」「文鳥」とともに春陽堂刊の『四篇』に収められ、出版された。 伊藤博文暗殺事件の報道のためにしばしば休載されて、51編からなり、「ここまで新聞に書いて来ると大晦日になった。二年に亙るのも変だから一先やめる事にした。」として、撫順の炭鉱見物を描写した回で掲載終了となった。このため「満韓ところどころ」というタイトルであるが、内容に大韓帝国は含まれず、当時の満州に関する描写に終始している。

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  • 『満韓ところどころ』(まんかんところどころ)は夏目漱石の随筆である。漱石は1909年(明治42年)9月2日から10月14日まで満州・朝鮮を旅行した。その紀行文が「満韓ところどころ」である。朝日新聞に1909年(明治42年)10月21日から12月30日まで掲載され、1910年(明治43年)5月、「夢十夜」「永日小品」「文鳥」とともに春陽堂刊の『四篇』に収められ、出版された。 伊藤博文暗殺事件の報道のためにしばしば休載されて、51編からなり、「ここまで新聞に書いて来ると大晦日になった。二年に亙るのも変だから一先やめる事にした。」として、撫順の炭鉱見物を描写した回で掲載終了となった。このため「満韓ところどころ」というタイトルであるが、内容に大韓帝国は含まれず、当時の満州に関する描写に終始している。 (ja)
  • 『満韓ところどころ』(まんかんところどころ)は夏目漱石の随筆である。漱石は1909年(明治42年)9月2日から10月14日まで満州・朝鮮を旅行した。その紀行文が「満韓ところどころ」である。朝日新聞に1909年(明治42年)10月21日から12月30日まで掲載され、1910年(明治43年)5月、「夢十夜」「永日小品」「文鳥」とともに春陽堂刊の『四篇』に収められ、出版された。 伊藤博文暗殺事件の報道のためにしばしば休載されて、51編からなり、「ここまで新聞に書いて来ると大晦日になった。二年に亙るのも変だから一先やめる事にした。」として、撫順の炭鉱見物を描写した回で掲載終了となった。このため「満韓ところどころ」というタイトルであるが、内容に大韓帝国は含まれず、当時の満州に関する描写に終始している。 (ja)
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  • 満韓ところどころ (ja)
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