大橋 翠石(おおはし すいせき、慶応元年4月〈1865年5月頃〉- 1945年〈昭和20年〉8月31日)は、明治中期から昭和前期にかけて日本で活動した日本画家。虎の絵を多く描き、パリ万国博覧会 (1900年)において日本人で唯一の金牌を受けるなど欧米でも高く評価された。 出身地は美濃国安八郡大垣町内(現・岐阜県大垣市新町2丁目)。本名は 大橋 卯三郎( - うさぶろう)。通称として宇一郎(ういちろう)を用いた。著名な親族として、大橋万峰こと実兄の大橋鎌三郎(日本画家)と娘婿で弟子の大橋翠邦(大橋翠峰)がいる。