南部 利用(なんぶ としもち)は、江戸時代後期の大名。陸奥国盛岡藩の第11代藩主。官位は従四位下・大膳大夫。ただし、公式には同一人物とされたが、この名を名乗った人物は2人いた。本記事ではその2人目の人物について記述する。幼名は善太郎。文政4年(1821年)に不慮の死を遂げた1人目の利用(幼名:吉次郎)の替え玉として藩主に擁立された。